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    小林秀雄について書いた文章のマガジンです。

  • 「ひろゆき論」批判:第1部

    岩波書店の雑誌『世界』に掲載され、2023年3月11日に「WEB世界」に公開された「ひろゆき論――なぜ支持されるのか、なぜ支持されるべきではないのか」の批判です。第1部では当該文章を段落毎に読み批判しています。長い文章ですので、全部をとおしで読まれることを想定していません。むろん、そのような読み方を排除するわけでもありませんが。エッセンスだけを読みたい方は第2回と第9回のどちらかを読まれることをおすすめいたします。

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小林秀雄(5)――「様々なる意匠」(4)

前回→https://note.com/illbouze_/n/ndfe9dcc04b78?magazine_key=m20f68d647879 1 新興芸術派とはなにか  以前に書いたとおり小林秀雄が「様々なる意匠」で批判対象としてあげたのは、マルクス主義批評の陣営と「芸術のための芸術」を標榜する批評の陣営である。 「芸術のための芸術」を標榜する批評の陣営。まだるっこしい書き方である。小林は前者のほうを「マルクス主義文芸批評家」と名指しているのに、後者のほうを明確に名

    • 小林秀雄(4)――「様々なる意匠」(3)

      前回→https://note.com/illbouze_/n/n9b8403174f53 1 「様々なる意匠」はどうみえたか?  小林秀雄が「様々なる批評」で批判対象としてあげたのはふたつの陣営だ。ひとつは「マルクス主義批評」。そしてもうひとつは「芸術のための芸術」を標榜する陣営。  そのふたつの陣営は、第二回の整理でいう、理論による批評と主観・印象批評(以下ではたんに主観批評とする)の対立に重なる。「様々なる」という形容詞はついているものの、小林が文章で批判したのは

      • 小林秀雄(3)――「様々なる意匠」(2)

        前回→https://note.com/illbouze_/n/n6fd74188f8ac 1 小林が恐れたこと  思想の制度、鎧、意匠。その三者を小林は暗に等号で結ぶ。前回読んだ「様々なる意匠」の一、二節のあとからは、これらの意匠をひとつひとつ点検する作業がはじまる。その手前にこの文章は置かれている。  前回、私は今回「様々なる意匠」の三節以降を読むと予告した。しかしその前に二節の最後に置かれたこの部分を点検しておこう。  あらゆる批評は尺度を必要とする。嗜好と尺度

        • 小林秀雄(2)――「様々なる意匠」(1)

          前回 → https://note.com/illbouze_/n/n81581adf1e01 1 「様々なる意匠」がでたころ  小林秀雄の実質的な出生作である「様々なる意匠」は、昭和四年(一九二九年)の雑誌『改造』九月号に掲載された。  前回も書いたとおり、その論文は「『改造』懸賞文芸評論」の二等作である。一等作は宮本顕治の「敗北の文学」であった。  手もとにある『日本文化総合年表(岩波書店)』をひき、当時の世相をみてみよう。  昭和三年(一九二八年)。小林秀雄が

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          小林秀雄(1)——不況のなかの批評

          1 小林秀雄について書くこと  ひとはものを書くまえに、そもそもなにを書くのかを選べる。だから、なにを書かないかも選べる。まだなにも書かれていないエディタの画面を前にして、私は手元の『小林秀雄全集』からうえの一文を記すことを選んだ。  つまり、これまでは書かなかったことを書くことを選んだ。そう、これから小林秀雄について書こうと思う。  小林秀雄は一九〇二年に東京の神田に生まれ、一九八三年に東京新宿の慶應義塾大学病院で亡くなった。年譜をみてもその生涯のほとんどを東京で暮ら

          小林秀雄(1)——不況のなかの批評

          「ひろゆき論」批判(10)

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          「ひろゆき論」批判(10)

          「ひろゆき論」批判(9)

           前回の文章の末尾で「え!?まだ続くの!?」と思ったひともいるだろう。不思議ではない。私もそう思っているのだから。  文章というのは書き手の意識を超えている。あらゆる表現の媒体というのは媒体自体の力を持っている。  媒体というのは文字、絵、音、映像などのことであって、ふつうにメディアと書けばいいのだが、その表現ではあまり通りのよくない要素も含まれるので、あえてここでは媒体と書く。  媒体はそれ自体でメッセージを発し、そしてそれ自体で作り手の意図しない表現とメッセージを生

          「ひろゆき論」批判(9)

          「ひろゆき論」批判(8)

          前回→https://note.com/illbouze_/n/nb16603b7da76  前回の更新からすこし時間があいた。そしてひとつ前の記事は批判とは関係のないものだったため、批判の内実に関心がある読者にはもうしわけないことをした。  すこし時間をおいたことでみえてきたこともある。  まず私がこの批判文を書きはじめたころほど「ひろゆき論」は話題にならなくなった。WEB版の公開当初はおおくの業界関係者が本稿に対する好意的な評価を送っていた。そのような風景はなくなっ

          「ひろゆき論」批判(8)

          幕間

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          「ひろゆき論」批判(7)

          前回→https://note.com/illbouze_/n/nd15f399fab79  先日、生放送プラットフォーム「シラス」で作家の飲茶氏がもっているチャンネルの番組にゲスト出演させていただいた。  当初は「飲茶さんと話すなら『刃牙』と『DEATH STRANDING』の話かな~」と思っていたのだが、放送前に飲茶氏がこの文書を読んでくれていて、番組ではおおむね、この文章の内容と、この文章を書くにあたって私が考えていることを飲茶氏とともにお話することになった。  

          「ひろゆき論」批判(7)

          「ひろゆき論」批判(6)

          前回→ https://note.com/illbouze_/n/n9ad5e8055be9  ところでこの連載をすべて読んでいるという人は、すくないながらもいるらしい。  そのひとたちはこう思っているのではないか。これを書いているひとは暇なのでは。ある意味そうで、ある意味そうではない。  コロナ禍以降、私の働く業界ではテレワーク化が他の業界に比べてもかなり進行した。私も2020年の夏頃からはほとんどリモートワークをしていて、たまに通勤電車に乗ると、ひといきれしてしまっ

          「ひろゆき論」批判(6)

          「ひろゆき論」批判(5)

          前回→https://note.com/illbouze_/n/n5a71770cf93d  先週土曜日、2023年3月18日に株式会社ゲンロンが主催するゲンロン総会2023に参加し、五反田のTOCビルで開催されたコミュニティマーケットに出展した。  そこで私が編集人をつとめた雑誌『BRIDGES vol.0』を頒布した。A5版で304頁、そして3000円という、なかなかに強気な商品ではあったのだが、結果、手売りだけで101冊を売り上げることができ、購入していただいた皆様

          「ひろゆき論」批判(5)

          「ひろゆき論」批判(4)

          前回→https://note.com/illbouze_/n/n1de0d4209e8c  本日、2023年3月17日、私が批判対象としている「ひろゆき論」の著者の手による文章が毎日新聞に掲載された。らしい。というのも私はウェブ版でしかこの記事を読んでいないからだ。紙版では確認していない。  内容としては「ひろゆき論」が下敷きになっている。だから関連文書として読むことはできるだだろう。  詳しい内容についてはネット版では有料記事となっているので、深く言及することはしな

          「ひろゆき論」批判(4)

          「ひろゆき論」批判(3)

          前回→https://note.com/illbouze_/n/ncc9e9caa03f1 § 中休み  私はいったいなにをしているのか。この批判文を書いていて、そう思わないときがないといえば嘘になる。私は無名だ。みんなが知る大学を出ているわけではない。  誇れる学位ももっていない。東京の片隅で、ときには燃えるゴミへと変貌しそうな瀬戸際で、日々の生活を送っているただのしがないサラリーマンだ。  そんな人間でも読書をするし、考えるし、物を書く。そして自分で雑誌を出版して

          「ひろゆき論」批判(3)

          「ひろゆき論」批判(2)

          前回 → https://note.com/illbouze_/n/n6477c9b1b711  子どものころ、夏休みの宿題は、配られた瞬間から解答をはじめ、放課後まで教室に残りすべての宿題を片付けたら、自分の机のなかに夏休みの宿題をおいて帰る。そんな子どもだった。  前回の文章で、次回を3月20日週と予告していたが、私もはやくこの文章は書き終えたい。というわけで第2回を掲載する。 § 今回の批判対象と読者の反応に対するアクション  前回は伊藤昌亮の「ひろゆき論――な

          「ひろゆき論」批判(2)

          「ひろゆき論」批判(1)

          § 批判の目的  2023年の2月に岩波書店が発行する総合誌『世界』の2023年3月号が発売された。本稿はそこに掲載された伊藤昌亮氏による「ひろゆき論――なぜ支持されるのか、なぜ支持されるべきではないのか」を批判するものである。  2023年の3月11日には岩波書店が運営する「WEB世界」というウェブサイトに、当該原稿の増補改訂版が掲載された。本稿ではこの増補改訂版を批判対象として採用する。ただ必要な箇所については雑誌掲載版を引用する。そのさいはWEB版との異同を明らかに

          「ひろゆき論」批判(1)