小林秀雄(3)――「様々なる意匠」(2)
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1 小林が恐れたこと
思想の制度、鎧、意匠。その三者を小林は暗に等号で結ぶ。前回読んだ「様々なる意匠」の一、二節のあとからは、これらの意匠をひとつひとつ点検する作業がはじまる。その手前にこの文章は置かれている。
前回、私は今回「様々なる意匠」の三節以降を読むと予告した。しかしその前に二節の最後に置かれたこの部分を点検しておこう。
あらゆる批評は尺度を必要とする。嗜好と尺度の対立図式をみたあと「常に生き生きとした嗜好を有し、常に溌剌たる尺度を持つということだけが容易ではないのである」と記し、そのあと即座に「人々は人の嗜好というものと尺度というものを別々に考えてみる、が、別々に考えてみるだけだ」と記す小林が、尺度の必要性自体に疑義をおぼえていたとは考えづらい。
なぜならば、前回も記したとおり、その疑義の行き着く果ては、あらゆる尺度の廃棄、もしくはそもそも尺度などというものはなかったのだという、ちゃぶ台返しであって、究極の無責任であるからだ。単に無責任なだけの文章が読みつがれることはない。そう信じたい。
しかし小林はその尺度の現実形態であるところの「思想の制度」は批判する。そこに矛盾をみるひとは小林の戦略を見落としている。
そもそも小林は冒頭で「搦め手」でいく、と宣言している。それがもっとも適した「軍略」であるとも書いている。だから、この矛盾(尺度は必要だといい、しかし、様々な尺度は批判する)を、私たちはある搦め手の戦略としてみなければならない。
では、それはどのような戦略だったか。二面からなる。まず小林はあらゆる意匠を批判する。そのことによりその全的な批判性を、一旦は、小林自身の意匠なのだと論敵に錯覚させる。
そして小林自身が真にまとった意匠、その存在を透明化させる。それが「様々なる意匠」という文章の出発点に小林が仕掛けた戦略だ。
なぜそのような戦略が必要とされたのか。それは小林がまとう意匠、鎧があまりに脆弱な、あるいは素朴な信仰に支えられたものだったからだ。そのことはしかし隠されてはおらず明確に書かれてもいる。
すこし複雑なことを書いている。単純化しよう。
まず芸術家の仕事には豊富な要素が含まれている。だから芸術家の仕事は、即、芸術家の言おうとしていること、思っていることではない。
しかし要素が豊富であるからこそ、批評家は、その豊富な要素を抽象=取捨選択することによって、芸術家が言おうとしていること、思っていることを作品のなかから抽出することができる。
ここで抽象されたものは、芸術作品が即座に表現しているものではない。芸術家が表現しようと思ったものですらないかもしれない。それは批評家の心が、批評家の言葉によって、芸術作品を素材にして語ったものだ。
小林はここに批評の「可能」があると考える。つまりそこでしか批評はありえないと考える。
文脈は前後するが小林はこうも書いている。
批評は、他人の作品を素材にして自分の夢を語る。小林は批評という表現形式をそのように定義する。しかしそこに「懐疑的」という形容がつくのは、はたして自分の語るような夢が、その他人の作品から形成しうるものなのかが明らかではないからだ。
批評は作品とそれが擁する豊富を前提とする。その豊富があるから、批評という表現形式は存在しうる。ではそのような見立てがたったとき、批評が恐れるものはなにか。小林がこのとき恐れたことはなにか。
ひとことでいえば作品がなくなることだ。芸術作品がこの世界からなくなるということではない。批評家のまえから作品がなくなることだ。
その具体的な実現形態として、芸術家が批評を拒否する、ということがあげられる。
あたりまえだが、批評を手前勝手に行うことはただたんに可能であるから、芸術家が自身の作品につく批評を排除することはできない。
しかし、批評というものが、芸術作品を素材にして、批評家自身の夢を語るという表現形式である以上、芸術家には、批評という表現形式を抹殺しうるカード、「銀の弾丸」が事前に配られている。
ごく単純に「その批評家が言っていることは、私の作品をみては言えないことだ」と芸術家がいうことである。
芸術家にそれを言われてしまえば、批評家の夢は終わる。その夢は芸術家の手になる作品から構成されているからだ。夢は終わり、仕事も終わる。小林は恐らくそのことを最も恐れていた。
芸術作品を使い、自身の夢を語ること。それが小林の意匠、あるいは鎧である。自身の審美眼の崇高をうたうわけでも、理論の崇高をうたうわけでもない。たんにそれが許されているあいだは、小林は夢を語ることができる。そのごく素朴な信仰が、小林自身の意匠なのだ。
この信仰はあまりに素朴であるから、さきほど記したような恐怖がつねにつきまとう。芸術家に作品をとりあげられてしまえば、批評家は終わりだ。理論や主観という根拠地は小林にはない。
そして小林が恐れていたのは、小林秀雄という個人に対して、芸術家がそれを言うことではない。批評という表現形式に対してそれが言われることだ。なぜならそのときの小林には批評しか表現の手段がなかったのだから。
「私は小林秀雄です。なので「小林秀雄」という表現形式でものを書いていきたい。であるので雑誌に『小林秀雄』という欄を設けていただきたい。私はそこに書きます。とても盛り上がることでしょう」そう言えれば、どれだけ楽だっただろう。しかしそれはあまりに楽なことであるから、この世ではけっして実現しない。
なにかを表現しようとするひとは、すでにこの世にある表現形式のなかで自分を表現するしかない。もし完全に新しい表現形式を創ることができたとしたら、それは誰にも理解できないだろう。なぜならそれは「完全に新しい」のだから。
完全な新しさは、既存の秩序に沿った理解を拒む。そのようにして有史以来、この世から無数の表現形式が失われてきたことだろう。その喪失を嘆くことは、私の目的ではない。
小林は批評という枠で書くことしかできなかった(すくなくともそのときは)。そして批評という表現形式は、その首筋につねに刃をあてられている。芸術家の寛恕のもとでしか批評はありえない。そもそも批評なんてあってもなくてもよいものなのだから。当然だ。
だとすれば、だ。小林がこの文章で「様々なる意匠」を批判しようとした目的もまた明確となる。日本の文芸批評の祖と呼ばれることになる人物が、まず当時の文芸批評家たちを激烈に批判することから仕事をはじめたことの理由もまた明確だろう。
小林の目には当時の批評家たちの動きが、芸術家に「銀の弾丸」を準備させようとするものに見えていたのだ。どういうことか。三節の読解に移ろう。
2 マルクス主義批評の批判
「様々なる意匠」の三節から、小林は当時の文芸批評たちがまとっていた意匠、鎧を批判していく。
その最初の標的とされるのがマルクス主義批評である。表現は文脈によってぶれているから、ここでは「マルクス主義批評」という言葉に一貫させよう。
小林は三節のはじめでマルクス主義批評を批判し、そして最終節である五節でもふたたび批判を行っている。であるから、小林のこの文章の目的は最初からマルクス主義批評批判にあったとみても、あながち外れていないだろう。
小林はマルクス主義批評について「恐らく今日の批評壇に最も活躍するこの意匠」と書く。まず小林は概観を著す。そしてその概観のなかですでにひとつの攻撃を加えている。
前回書いた尺度と嗜好、理論と主観の話を思い起こしてもらえれば、ここで小林が「政治」と「芸術」という対立におなじものを重ねていることがわかるだろう。
そして小林はそれはみたとおりの対立なのではなく、所詮はある主観=「情熱」が別の主観を追放するという問題なのだ、とする。そして、それはマルクス主義批評に対する最大の攻撃である。
マルクス主義批評において、マルクス主義は公式である。理論である。マルクス主義批評はその理論から現実にある作品を評価する。その方法において現実に存在する作品が、理論の方に更新を迫る、というダイナミズムは問題にならない。理論、公式は、すでにつねに正しい。
小林はその理論、公式をただの「情熱」だという。別の情熱を追いだすための情熱だという。であるから、その表面にあらわれた理論や公式という姿は仮面、つまり意匠であると小林はいう。
つづけて小林は当時のマルクス主義批評のあり方をひとつの標語にして表現する。「プロレタリアのために芸術せよ」小林はそういう言葉を「好かない」という。なぜか。
その標語は修辞だ。意匠、ファッションとしての言葉だ。その言葉はなにかを言ってるようで、なにも言っていない。
そして、なにも言ってないからこそ、批評家は簡単にそのことを言える。しかし、それを言われた芸術家はなにをしていいのかがわからない。なぜならばその言葉は何も言ってないのだから。
ファッションとしての言葉では、ひとを動かすことはできない。しかし、よくよく考えてみるとマルクス主義とは、ひとを動かす、現実を変革することを目的とした思想であった。
しかし、マルクス主義批評はファッションとしての言葉しか出力しない。この矛盾を指摘することは、マルクス主義批評に対する最大の攻撃である。
ある作品がひとを動かすのは、そこに作者の存在(血液)がかかっているからで、ある意匠に合致しているからではない。その血液が落ちたあとのものに動かされるのは「粉飾された心」のみだ。なにに粉飾された心なのかといえば、意匠、この場合はマルクス主義という意匠にである。
「プロレタリアのために芸術せよ」という言葉は、究極的には、マルクス主義を奉じよ、というメッセージにほかならない。マルクス主義という意匠に粉飾された心に対しては、その言葉は意味をもつ。つまりは信仰の再確認である。
しかし、それ以外の心に対してはなんの意味ももたない。たんなる符牒だからだ。その符牒が流通する言語空間のなかでは、作品の背後にある作者の存在、血液は問題にならない。作品の表面がいかに符牒に適合しているかが問題になる。しかしそれでは人は動かない。
ひとを動かすことを目的とした思想が、その応用形態でたんなる符牒の確認に堕落する。そこではその思想がもっとも重視するべきだった作者の存在、つまり人間、プロレタリアの存在が忘却される。それが小林によるマルクス主義批評の批判である。
この批判の鋭さには戦慄しかおぼえない。しかし真に戦慄すべきなのは、このとき小林が批判していたマルクス主義批評の冷酷さに対してであろう。
小林が指摘したマルクス主義批評の堕落は、前回引いた言葉でいえば「言葉の魔術性」によって引き起こされる。
言葉はもとは存在と対応している。すくなくともそう思われている。「机」という言葉は実物としての机に対応している。しかし言葉が自走をはじめると、現実に対応しない符牒が生まれる。
そして小林は、そのような符牒ではひとは動かないというのだが、現実の歴史をみてみれば、そのような符牒によってこそひとは動かされてきたことがわかる。
「敵」という言葉、もしくはそれに対応するなにかの符牒が生まれたことで、戦争や殺戮は可能になる。だから小林がいう、それではひとは動かない、という言葉は逆説としてとらえなければならない。
現実にひとは符牒によって動いてしまう。そして符牒の背後にいる存在を忘れてしまう。現に小林が面していたマルクス主義批評はひとを動かしていた。だから小林も「今日の批評壇に最も活躍するこの意匠」と書かざるをえなかったのだ。
だから、その無効を宣言する小林の孤独はすさまじいものだっただろう。それではひとは動かない、といっても、実際にひとは動いている。小林がそのような無理筋の戦いを挑むのは、そのさきには悲劇が待ち受けていることを感得していたからだろう。
そしてその悲劇は「言葉の魔術性」という、人間存在の条件から引き出されるものであるから、マルクス主義批評という意匠が消え去ったあとでも、状況はなにも変わらない。
このとき小林が「マルクス主義批評」と名指した符牒の等価物は、歴史のいたるところに存在している。当然のことながら「歴史のいたるところ」のなかには現在も含まれる。
しかし私は現代の符牒に対して、果敢な攻撃をしかけられるほどには、まだ覚悟が決まってはいない。
だから小林の仕事を読むことによって、なにかを間接的に批判しようとしているのだが、小林の勇気をまえにすると、そのような自分の皮相さのすべてが霞んでしまうのである。
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