思い込みを捨てると幸せになれるかもしれない
しばらく前の新聞に、「摂食障害」で苦しまれた経験のあるAさんへのインタビュー記事が掲載されていました。
Aさんは、「健康な体重になるのは良いことだとわかっていても、お腹の肉が分厚くなる現実は受け入れがたい」という気持ちが抜けなかったのだそうです。
Aさんの思い、私もわかる気がしました。
私の体重のはなし
私はもともと中肉中背で、高校入学時は身長160センチで体重53キロほどでした。
ところが高校2年生のとき、パン屋さんでアルバイトを始め、売れ残ったパンをたんまりもらって帰って夕食後に食べていたので、あれよあれよという間に60キロを超えました。
やばい!
けれどもその後、就職、結婚、妊娠、出産、家事育児と仕事の両立、病気などを経て、現在は44キロが標準です。
健康診断を受けると「やせすぎ」でC判定がついてしまいます。
自分にとっては53キロ前後がいちばん好調なのはわかっているのです。
「小太りばあさん」は長生きすると言いますし。
できるだけたくさん食べるように努力し、毎日体重計に乗って確認もします。
それなのに、体重計に乗って増えていると「あーあ、太っちゃった」というマイナスの気持ちを感じるのです。
そして、だれかに「ちょっと太った?」と聞かれようものならイラっとするのです。
やせ過ぎを心配して言ってくださっていることは、頭では理解しているのに。
このおかしな気持ちは、若い頃に感じていた「私は太りすぎている。やせなければ!」という思い込みから逃れられないでいるせいでしょう。
お金は増やすほどいい?
思い込みによって考え方にひずみが生まれ、もったいない人生を送っていると思われることは、他にもたくさんありますよね。
たとえば「お金」。
「私にはお金が足りない。老後資金を増やさなければ!」という思い込みが強すぎると苦しむことになりそうです。
「いくらお金があっても不安でしかたがない」という状態になる方もおられるようです。
確かに人生何が起こるかわかりませんし、寿命もわかりませんので不安になるのは当然と言えば当然ですが、それも度を過ぎると幸せではなくなるでしょう。
幸福とは?(「二コマコス倫理学」)
随分前ですが、NHKの「100分 de 名著」でアリストテレスの「二コマコス倫理学」をやっていました。私はこの番組が好きで、録画して繰り返し見ます。
ちなみに「二コマコス倫理学」は、アリストテレスの息子の二コマコスが、父の遺構や講義録などを編纂してできあがったものなのだそうです。
この書物には、「幸福とは何か」「人間が幸福になるためにはどうすればよいか」について書いてあります。
幸せになりたいですよね!
アリストテレスは、「幸せになるためには『徳(アレテー)』を身につけなければならない」といいます。
では、徳を身につけるためにはどうしたらいいのでしょう?
一つは、モデルを作ることです。
例えば技術を身につけたいと願う人は、その技術をもつ師匠との関係において学んでいきます。
同じように、徳を身につけたいと願う人もその徳を体現している人物をモデルに学びます。
もう一つは、中庸を身につけるということです。
例えば「節制」の徳でいえば、ちょっとでもおいしいものがあれば食べてしまう「超過」でもなく、かと言ってどんなおいしいものがあっても全く無関心な「不足」でもなく、自分にとってもっとも必要なものを程よいバランスで食べること、それこそが「節制ある人」です。
その場で最も的確な立ち向かい方をする、つまり中庸を選びとることを積み重ねることも、徳を身につけることに繋がる、ということです。
還暦からの生き直しです
「体重」にしても「お金」にしても、少なすぎず、多すぎず、自分にとって最も良い加減を判断し、維持したり目標にしたりすることが「幸福」につながるということですね。
若いうちに「二コマコス倫理学」を読んでいたら、もうちょっと『徳』を積んで今よりもっと幸せになっていたかも?
私は『徳』よりも『悪徳』を積んできてしまった気がしますので、自分の中の思い込みをいったんなくして、ゼロから『徳』を積んでいこうと思います。
還暦からの生き直しです👍