「ブサイクでもヤりまくれ。」
何かを上手くなりたいって向上心を持つことは大事だけど、
上手くやろうとしすぎて量をこなせなくなったらダメだ。
なぜなら下手くそなクセに最初から質ばかりを求めて量をこなせないと、
自分にとって何が大事で何が余計なものかを理解できないからだ。
上手くなりたいって向上心は質を求めがちになってしまう。
でも、最初から簡単に質が上がるわけないんだ。
確かにゼロの状態から少し量をこなせば、今までと比べ質の向上が明らかに目に見えるかもしれない。
ただそれはゼロから少し上がっただけだから、そこからさらに質の向上を目指すにはもっと量をこなす必要がある。
質を上げるには、量をこなすしかないんだ。
例えば、磨けば輝く原石がわかりやすい。
当然、一度も磨いたことがない原石は少し磨けば輝きだす。
だから、全体を綺麗に輝かせるためには磨く量をこなさなければいけないんだ。
じゃあ、そもそもなんで磨くと輝くのか?
それは、余計なものを削るからだ。
その、余計なものを削るには量をこなすことが大前提なんだ。
つまり、量をこなして余計なものを削るから輝きはじめるんだ。
輝くには量をこなすことが大事と書いているわけで、余計なことをするなという意味ではない。
むしろ、余計なことはどんどんしたほうが良いだろう。
だって、余計なことをしないとなにが余計なものなのか?がわからないからね。
量をこなした結果、自然と何が大事か?何を削るべきか?が見えてくるんだ。
これは上手くなりたいという向上心や自己成長を求める人にはリンクする話だ。
もっというと、成長には痛みが伴うとも言える。
だって、自分という原石を輝かせるためにはゴシゴシ身を削る必要があるんだから痛いに決まっているでしょ。
しかも、ゴシゴシする量をこなすには体力や気力が必要だから疲れが出てくるのは当然のこと。
体力と気力を使い、たくさん身を削った先に輝く成長があるんだ。
今の時代には沿わないスパルタみたいなことを書いてしまったと思うけど、
俺みたいな凡人が成長するには何よりもまずは量なんだ。
じゃあ、量をこなせるって何なのか?
俺は、「あり方」だと思っている。
その人のこなす量をみればあり方とやり方の比率がだいたいわかってしまう。
キツく痛くても、質は悪くブサイクでも、絶対に成長してやろうという想いをもち量をこなせるから、成長でき「あり方」が創られるんだ。
あり方とやり方はどちらも大事だけど、やり方に走る人には創りにくいものだ。
例えば、本気でセールス力を磨きたいと思ったらどんな商品でも毎日セールスするんだ。
すぐ良い商品に乗り換えたり、商品を言い訳にするのはやり方を重視している人。
断られるのが嫌だから、痛い思いをしたくないからやり方に走るんだ。
断られたり否定される痛みを経験してでも、絶対にセールス力を磨くという想いがあるから成長するんだ。
それが「あり方」なんだ。
俺みたいな凡人が質を求めたところで大したクオリティなんて出せないから。
とことん量をこなし挑戦と失敗を繰り返すから、大事なものが見えてくるんだ。
とにかくやること、やり続けることだ。