「いつも誰かに応援されながら生きている。」
昨日で毎日noteを連続投稿して100日目だった。
俺が毎日noteを投稿する主な理由は、
・自分で決めたことくらいはできるようになりたいから
・言語化能力を鍛えたいから
なんだけど詳しくはまたの機会に書こうと思う。
今まで色んなSNSをやってきて情報発信をしてきたけどかなりテキトーだったし、続かなかったしもっというと続けようとすら思っていなかった。
まじで、情報発信なんて言えないくらいレベルが低いものだと思う。笑
だから「書く」ということを全然やってこなかったぶん、noteをはじめてみても最初は全然書けなかった。
でも毎日書いているうちにだんだんと量は書けるようになっていき、はじめて1ヶ月経ったくらいから1200文字以上の量を書くことに決めた。
今でもちゃんと書けているとは思えないけど、1200文字以上毎日書くことを継続できているなんて俺としては想像していなかった。
(ちゃんと書けているっていうのは、例えば起承転結がブレずに論理的に書けていたりすることね。)
じゃあ、なんで100日も連続して毎日noteを投稿することができたのか?
それは、応援してくれている存在がいるからだと思う。
例えば、noteを毎日連続で投稿するとnote自体が応援してくれる。
これって結構嬉しいなと思うんだよね。
上述した通り俺は別に誰かに認められたいという自己承認欲求を満たすためにやっているわけでもないし、性格がひねくれているから自分のことを褒めて伸びるタイプとも思っていない。笑
でも、こうして応援されると素直に嬉しいし不思議と明日も頑張ろうってなるんだよね。
それに、noteを続けるんだったら加藤貞顕さんや深津貴之さん等のnoteを運営している方たちの発信を見ることをオススメする。
その発信を見れば、かなり熱い想いを持ってnoteを運営してクリエイター目線に立って考えてくれていることがわかる。
運営がユーザーに対して、応援するという想いがみえるから良いんだよね。
他の例えというと本だ。
継続することは大事なんて誰にでもわかっていること。
でも、継続できないから困っているんだ。
だから、継続することの大切さをかなり感じれてどうすれば継続できるようになるのか?を書かれている本を何冊か読んだ。
著者が時代を超えて応援してくれているから、頑張って続けようと思えるんだ。
特に、新渡戸稲造著・「逆行を超えてゆく者へ」は本当に読んで良かった。
応援と応援力ってたまに聞くけど、この二つは全く別のものだ。
応援は背中を押すことで、応援力は人を勝たせられる力だと思っている。
だから、応援ができても応援力がない人はいる。
(もちろん、noteや著者は応援もできるし応援力もある。)
でも、パイの取り合いじゃなくなった時代に応援すらできないようじゃダメだろ。
失敗を許さないどころか失敗にフォーカスして晒し上げ再起不能レベルまでに人を陥れるようなSNSの使い方をしている輩が多いけど、
そんなことしているお前の人生はそれでいいの?そんな暇なの?そんな時間の使い方してどうするの?ってマジで思うんだ。
犯罪とか差別は話が別だけど、挑戦した結果の失敗だったらまた応援してやるのが普通じゃないかな。
だって、その人は挑戦しているんだ。
他人にはできないことを。自分にはできないことを。
応援もできない・ちょっとでも背中を押せないような冷たいやつが多いなと感じちゃうぶん、応援してくれる暖かさも感じれるようになった。
noteを毎日投稿することで、誰かに応援されながら生きているんだと感じれるようになった。
生きているだけでほんと色んな人に応援されているよ。
そこを感じれなくなったら終わりだな。
応援できる人になろうと思う。
人を応援しよう。
せめて、ちょっとでも背中を押せる人間になろう。
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