ママコノシリヌグイから見えてくるもの
ママコノシリヌグイ?!
奇妙なネーミングの植物に出会いました。「ママコノシリヌグイ」(継子の尻拭い)です。
どんな植物なのか興味津々、図鑑片手に探し回りやっと見つけました。
なんと我が家の外塀にひっそりと生息しておりました。写真は実物の「ママコノシリヌグイ」だと思います。
実物を見るかぎり、この植物の茎には無数の棘はついているものの、葉は小さくて落とし紙には到底利用できそうもありません。
昔の人は、茎についている無数の棘をみて、我が子ではなく継子に使えばさぞ泣き叫ぶだろうと想像してこのネーミングにしたのかもしれません。
継子いじめの傑作小説「氷点」
継子をテーマにした小説に三浦綾子『氷点』があります。
『氷点』の主人公陽子は、数奇の星の下に生まれた子です。
故あって、旭川の医師、辻口夫妻のもとで育てられます。
陽子は義理の母である夏枝から数々の嫌がらせを受けますが、ひねくれることなくまっすぐに生きる努力を続けていきます。
夏枝は陽子の学芸会に着せる服を忘れたふりをしてわざと平服のままで学芸会に行かせます。
また、夏枝は陽子の給食費を忘れたふりをして渡さないのです。
圧巻なのは、陽子が中学の卒業式に読む答辞を夏枝が白紙にすり替え、陽子が卒業式の場で困るように仕向けるのです。
『氷点』は、義理の母夏枝に嫌がらせを受けながらも健気に生きていく陽子の姿を描きます。
しかし、最後には、陽子の心が凍ってしまい自殺未遂に及んでしまう悲しいものがたりです。
ゆうなの葉にまつわる思い出
尾籠な話で恐縮ですが、植物にまつわる次のテーマは「落とし紙」について書こうと思います。
終戦後の貧しい時代と重なるのですが、物心ついた頃、私は沖縄の農村で暮らしていました。
茅葺の屋根の家で、その庭にはオオハマボウ(沖縄・奄美地方では「ゆうな」と呼んでいます。)の木がありました。
私たちの家族は生活の知恵として、このオオハマボウの葉を落とし紙として使っていました。
戦後貧しかった時代、新聞紙すらなく、同じ地区に住んでいた他の家庭でも、この葉のお世話になっていたのではないかと思っております。
古里沖縄に帰郷した際、街なかで見かけるゆうなの黄色の花を見るたびに、昔の落とし紙のことを思い出し、隔世の感がするのです。
泣かぬなら泣かしてやると義母夏枝あの手この手で陽子いたぶる(短歌)
義理の子は叱れないただ抱きしめる(川柳)
ゆうなの葉幼き日々の落とし紙(川柳)