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リワーク日記66 職場でたらい回しにされて感じた「怒り」の感情を冷静に掘り下げてみる
人生山あり谷あり、遠回りもあり。前職では自信を失って何も言えないくらい萎縮して自分の意見を言うことが恥晒しの罪悪だとすら思ってしまうほどメンタルを崩して休職したのに、転職した今では大した自信もないけど、何も言えないという状況からは脱することができています。
今週、別部署の人と電話で言い合いをしてしまったのも、本当はあんまりよくないけど、私にとってはここまで自己主張できるまでに回復したのかと喜ばしいことにすら感じたくらいです。本当はあんまりよくないけど。
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あくまでアサーティブに対話したかったのですが、どうも引き継いだ案件が障壁&地雷だらけで、なのに私自身には社内で協力を仰げる人的資源があまりに不足しており、おまけにどうやら私の会社は部署間の距離が遠すぎるようで、困ってるから相談しているのにとにかくたらい回しにされるので、イライラが溜まりすぎてしまい相手の高圧的な言い方に対してつい反撃してしまったのです。反省が必要です。結果的にはお互い協力的に事態に対処してなんとか乗り切りました。なんだ、代替案あるじゃないか。なんで無理って言ったんだよ。おっと、落ち着かないと。
どうやら私の引き継いだ案件、上司の話では、社内でもスタンダードなものではなく特殊で難度の高いものらしいのです。皆さん、厄介だから関わり合いたくないのかもしれません。なんでそんな代物をいきなり入社したての私に割り当てたんだよ。おっと、落ち着かないと。
さて、1台の自動車の中にアクセルとブレーキが共存するように、会社の中に正反対の原理で動く機能を持った部署が併存すること自体は特段おかしな話ではありませんし、部署間で意見が対立することも不健全なわけではありません。機能を分割している以上、その役割分担の定義からはみだすような事態に直面した時、たらい回しが発生するのも致し方ない部分はあります。
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しかし、事前に用意し振り分けた機能がその通り働いているというだけでは、複雑で流動的な現実世界に対応できるわけがないのももうひとつの事実です。事前想定とは少しずつ異なる形で現れてくる現実に、既存の機能を少しずつ拡大解釈しながら合わせて対応することが会社ではよく求められるわけです。仕事で「困っている」というのは、事態が事前想定通りでなく既存の社内の機能メニューから外れてしまっているからであって、既存組織が現実に合わせて少しずつ変化するよう求められている場面だという証拠に他なりません。たらい回しでは解決にはなりません。
この一件に限らずこの1週間で私が確信したのは、私の会社では部署間の距離が遠く連携がしにくく「遊び」が不足しているということです。先述した通り、同じ会社の中に異なる機能を付与され、異なる原理で動き、異なるルールを持ち、同じ案件を異なる角度から見て、異なる事情と異なる意見を持つ部署が同居するのは不自然ではありません。要は双方が互いの機能と見方を理解し合い、状況に即した形でバランスを自律的に調整できれば良いだけのことです。私の会社は、この部署間の相互理解とバランス調整がひどく苦手なようです。
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どの部署も自分たちは常に相手に譲歩させられすぎていると不満を募らせているように見えます。なぜ自分たちばかりが分からず屋の相手に合わせて無理を強いられなければいけないのか、と。しかし実際には単にそのときどきの状況に合わせてバランスが取られているだけであって、誰もが譲歩を経験しており、そしてその譲歩は対立でも損失でも敗北でもなく現実に適応するための創造的な体制強化に他ならないのです。
当然、前提として、ルールの厳格な遵守が絶対である安定志向の部署もあれば、ルールにとらわれない新たな発想こそ重要だと考える変化志向の部署もあります。そのどちらもが会社運営には必要だとお互いが理解することが必要です。相互理解を深める取組みを始めたり、部署間のクッション役を置いたり、新規案件を複数部署で共有しながら進めていく枠組みを作るなど、やれる事はいくつもありそうではあります。
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ところで、私自身はこのように協力的な関係を重視しているタイプのはずですが、実はそうであるが故に、今回は相手の非協力的な態度が許せず怒りに任せて反撃しまったと反省しています。怒りは自分の信念や価値観が引き起こす副作用でもある点には十分に注意が必要です。
だからといって自分の価値観を無理に変える必要はないと思いますが、あくまでそれは自分のマイルールに過ぎず、相手がそれを共有しているとは限らず、強要することもできないということは忘れてはいけないポイントです。誰もが周囲の人達と協力して仕事をしたいと思っているわけではありません。協力とは名ばかりの甘ったれたもたれ合いよりも、各々が独立して自力で仕事を成し遂げることこそあるべき姿だと考える人もいますし、マニュアルに書いていないなら協力だろうが何だろうが勝手にやってはいけないと考える人もいます。そして、「協力」の形も深度も人によって様々です。どんな要件を満たせば協力したことになるのでしょうか?ああ、厄介です。そう、だから仕事は大変なのです。
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多くの人が「強力なリーダーシップ」を求めるというのは、この面倒で厄介な対話と意思統一と協力関係構築を省いて誰かに代行してもらいたい心理の現れではないかとすら思えます。しかし誰もが魅力的で有力なリーダーにはなれず、どこにでもそうした人物がいるとは限りません。私も違います。私にできるのは、やはり地道に対話し、ときには摩擦を経験しながらも相手を理解し、その都度最もマシな道を見出していく華のないやり方を繰り返すことだけです。
ともあれ、自分はこういう価値観を持っており、このような場面ではそれが裏目に出るということを理解しておくことはとても役に立ちます。自分の価値観は良い方向に働くこともあれば、悪い方向に働いて自分自身のメンタルに負荷をかけてしまうこともあるのです。悪い方向に暴走する前にストップをかけられると良いですね。
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ということで、今回は怒りの源には自分の信念や価値観が潜んでいるという、リワークで教わったことの正しさを実感したというお話でした。けっこうストレスが強い出来事ではありましたので、疲労は随分と溜まっています。猛暑による疲れもありますが。しかしながら自分ひとりで抱え込まずに仕事をこなせているという点ではとても順調で理想的です。間違いなく休職してリワークに通ったことで良い方向に進むことができていると思います。これからもゆっくり休息を取りながらのんびりとやっていきたいです。
ついでに言うなら、もし上司の言うように今のこの案件が社内でも難しい部類なら、これをやり遂げられれば自信にもなります。本当はもっと標準的で汎用的なものから慣れていきたかったのですけれども。前職でもなぜか最も変則的で特殊で面倒な案件ばかりが私に集まっていましたので、私はそういうものを引き寄せてしまう体質なのでしょうか?困ったものです。自分ではそういうの、求めていないんですけれどもね。
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