幸せとは
私は貪欲な人
現在私は絶賛GWの渦中に居る。
人生で初めて「連休」という至福の時を噛み締めている。
春から新人研修の日々にほぼ全ベットしている私は、
毎朝の満員電車に揺られながら、世の中の大人は凄いなあと尊敬の念が止まらないのである。
そんな話から何故、「幸せとは」という、
世界中の誰と対談しても一日では事足り無いようなテーマについて書いているのか。
それは自分自身の貪欲さに気付いてしまったからだ。
アラームなしで目を覚まし近所を散歩、ゆっくりお昼を作って食べ、
特段眠いわけでもないのに、網戸も開けたまま明るい部屋でする昼寝。
そんな、平日には夢にも見ないようにする程の、夢のような時間を贅沢に味わっている…
にも関わらず。
私は「何か足りない。」そんな気持ちを抱いている。
本当に、何か足りないのだ。
SNSで知り合いの旅行中の投稿を見ては心の中で羨ましく思い、
かといって出掛けようにも、都内や観光地で繰り広げられているであろう人混みを思うと正直萎えてしまう。
挙げ句の果てに、一緒にこの連休を過ごしてくれている彼に八つ当たりしてみたり。
本当に何をグズってるんだ、とどうぞお叱り下さい。
私はこの満たされない気持ちの正体について考えを巡らせてみたが、
おそらくこれは、私の中の 我慢 と 貪欲 が最悪のコンビネーションを繰り広げてダンスパーティーを開催している、という考えに着地した。
まず、出費や人疲れを懸念した、お出掛け意欲の節制。
節約はとても大事だが、過度の節制は逆に不健康である。
そして二つ目、こんなに時間がある連休に、遠い所に行った話一つもみんなにお知らせ出来ないのか〜という嫌気。
どこでも良いからどっか行きたいの、万年どっか行きたい欲。これも大いにアル。
とにかく私の中の、「理想のGWの過ごし方(キラキラ〜ン)」みたいなことを実現できていないことによるただの不完全燃焼感だ。
私は昔から理想を追い求める、貪欲なタイプなのだ。
ヤツは私の心の中まで透視している
ふにゃふにゃとそんなことを考えていた時、何の気なしに視聴した動画内でのマツコデラックスの言葉に軽く鳥肌。
デジタル社会において私の心の中までトラッキングされているのでは⁉︎と思うようなタイミングだったので少しビクリ(あるあるだよね)。
ある番組で彼女が話すのは、「幸せの共通認識」について。
ここからは彼女の言葉で、
と話す(所々省略しています)。
ほんっとうにそうだと思う。
世の中のにあるきれいな言葉では、
「幸せはお金じゃ買えない」「本当の幸せはもっと身近なところにある」
理解は出来る。
でも、他者からの評価なしに自分は幸福であると認められるほど、多くの人間は強くないと思う。私も含めて。
だからこそ、本当の意味でそれが出来る人は、よっぽどの覚悟がある強い人だとも思う。
ここからはまた彼女の言葉で、
と話す。
彼女は本質的な考え方をする人で、とってもかっこいい。大好き。
結論:悩まなくてもなんか大丈夫そう
ここで私は冒頭で話した、満たされない感覚の正体が分かった気がした。
それは他者が全く介在しない私の世界において、私が私自身の幸福を認めていなかったのだ。
どう考えても優雅で気持ちの良い時間を過ごしているのに、そんな中でも私は、
他者との比較を一切怠っていなかった。そんなマルチタスクに勤しむ必要は無い。
と言いつつも依然、なんかどこでも良いから、お出掛けがしたい。
きっとそれで良いのだ。
貪欲で居られる、その幸福さを受け入れられれば良いのだ。
これを機に、もう一つ考え始めたこと。
私だけの世界で、これは誰に何を言われても好き!と言えるモノは何なのか。
今はパッとしなくても、時間をかけて見つけられるように、そんな宝物を見逃すことのないように。
諦めずに探し続けることが、この世に生まれて、生きて、
死ぬまでに人間が向き合うべき仕事の一つなんじゃないかとも思う。
そのように思いを巡らせていると、
あらゆる出来事に真っ直ぐに、そして自分の心の中に居る正直さんと向き合おうという気になれた。
マツコ姉さんに素敵な言葉を貰ったことが、この連休の最大の収穫ではないか。
明日もいい日になる予感。
真瑚