ニーチェと聖書と、ときどき隆明
ニーチェ思想の概要を初めて知ったのは、西研さんの『実存からの冒険』でした。そこで紹介されていた「畜群本能」批判などを読み、ニーチェに対し、間接的にではありますが、抗い難い魅力を感じました。
『実存からの冒険』を読んだのは高校生のときで、大学時代にはニーチェ自身の『この人を見よ』に挑戦し、彼の「同情」批判に酔いしれたものです。しかし、その後はニーチェにハマることはありませんでした。理由の一つは、彼が対決したキリスト教の聖書に触れたからです。
聖書、とくに福音書における山上の垂訓や姦淫の女のエピソードは、やはり抗い難い魅力がありました。「この人を見よ」という言葉も、福音書からの引用です。
大学卒業後に『ツァラトゥストラ』も読みましたが、聖書の影響もあって、あまり夢中にはなれませんでした。素朴かもしれないですが、やっぱり隣人愛みたいなものも大事なのではないか、と思ってしまうのです。これとは違った文脈で、ニーチェにハマり続けることの問題点について、『実存からの冒険』で西研さんも書いていたと思います。
いずれにしても、抗い難い魅力を感じているからこそ、それに抗おうという気概が大切なのでしょう。ニーチェ自身が、キリスト教に対してそうしたように。「マタイによる福音書」を批判的に読解した、吉本隆明の「マチウ書試論」もまた、そのようにして生まれたものと言えます。残念ながら、筆者は「マチウ書試論」からは、抗い難い魅力を感じることは出来なかったのですが。