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#51 百鬼堂農園(4) 黒部の太陽

 考えるな、動け。

 周到な準備を怠って痛い目に遭ってきた人生。でも勢いで適当にやって、うまくいったことだってある。いきあたりばったりでも、何とかなってきた人生ともいえる。準備したってうまくいかないこともあるし、周到な準備ができる能力もないのだから、適当にやるしかない。逡巡して何も始まらないというのが最悪、と思い定め、前へ。

 まずは、

❶耕して土を混ぜる ❷肥料など投入 ❸畝(うね)をつくる

この3工程がやるべきことと思われる。

 広い。とりあえず鍬を持って、振り下ろす。ズシッ、ネチャ。粘土だこれ。全然耕せない。平鍬でない、備中鍬が欲しい。すべて耕すのは諦め、3分の1程度を目標にひたすら鍬を振り下ろす。しかし、粘土をひっくり返しても粘土のまま。土壌の改善が必要と思われる。帰って作戦を練り直すしかなさそうだ。

 耕す作業は、農という行為の楽しさを体現する爽快さもある。が、程度によります。粘土だと苦行です。鍬を少し手の内で滑らせる行為は合気道の杖の動作。土に刃を落とすときにわずかに膝を抜いて腰を落とし、重さを乗せるのは合気道の剣の動作。いつの間にか夢中でやっている。消費カロリーはジムで同じ時間を過ごすときの倍近い。

 2日後に訪れると、地中から掘り起こされた粘土の土塊が乾いて、完全に固まって岩のようになっている。荒涼感が漂う。北斗の拳の世界だ。ホームセンターをはしごして買ってきた、粘土質を改善するという籾殻燻炭(もみがらくんたん)と腐葉土を畑にまき、耕す。岩と化した塊を突き崩す。岩盤を掘るようだ。頭の中で中島みゆき「地上の星」が流れる。

 土壌改良の効果はまったく感じられないまま、なんとか3日かけて畝を3本作り上げた。これで畑全体の4分の1くらいか。見た目は畝だが、中身は粘土だ。

 畑仕事というより、土木工事だった。

 同じ畑のご老人に初めて会って、あいさつした。ここらに生えているニラは誰も育てていないので、勝手に持っていっていいという。種もまかず苗も植えずして、初の収穫である。みずみずしく、いい匂いがする。

 しかし喜び勇んで家に持って帰ると、妻曰く、水仙が混じっていると怖いので、食べるのはやめておくとのこと。クール過ぎる妻であるが、この人の言うことはたいてい正しい。素直に従うことにします。確かに、間違えて食中毒というニュースは多いみたいですね。気をつけましょう。

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