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遅れてきた反抗期⁉「長年、抑圧された怒りを赤裸々に綴るとある変化が…」【あるACの告白】
ずっと「怒らない人」「温厚な人」と言われてきた。
沸点が低くないので、確かに大声を出したり、憤怒することはまずない。
ただし見方を変えると、それは「感情を抑制するブレーキが強く働いている」ということでもある。
「何があっても感情を我慢する」というのをズルい人に見抜かれて、20代、30代と散々ひどい目にあった。
noteを始めたのが2022年の2月頃。
この頃は、それまでの生き方に無理が出て何もかもにやる気を失っていた記憶がある。
年始から二か月ほどは仕事をセーブしゆっくり休んだ。すると心身の状態がだんだんと回復してきた。
ふつふつと内側から沸き起こってきたのは、長年溜めこみ続けた怒りだった。
「なんで自分ばかりが、こんな目に⁉」と理不尽を感じていた。
そして「ネガティブな感情を書き切ろう」と決意し、kindle書籍を出版するという流れにいたる。
気づけば、憑りつかれたように書いていた。書き出すと感情が乗るので、とまらなくなるのだ。浄化を求めて、ひたすら書いていた。
当時の「書く」という行為は、人の話を聴き続けてきた僕が、一転して誰かに対して一方的に語り掛けるような行為だったかもしれない。
以下は、僕が精魂こめて記した3冊の自己愛さんに関するkindle書籍だ。勝手に「自己愛さん3部作」と命名している。
(※自己愛さんというのは、歪な自己愛を持つ搾取的で操作的な人という意味)
最近、リリースした👆「自己愛の洗脳とマインド・コントロール」では、第0章として、自分が2年に渡り心理操作
された苦い経験を包み隠さず綴った。
「過去の自分のように誰かから洗脳されたり、マインド・コントロールされる人をひとりでも減らしたい」という願いを込めている。
僕は、寝ている間に歯ぎしりをする癖がある。
これは暮らしの中で、抑圧が癖づいていることと関係しているのだろう。
僕にとって書くことは、感情の解放だった。
600日以上続いているこのnoteも、初期に投稿したものを読み返すと、ずいぶん怒りを露にしているものが多い。
思春期をやや機能不全家族ともいえるような状況で過ごした僕には、反抗期がなかった。
今、振り返ると「この状況で自分が反抗したら、家庭は完全に崩壊する。ただでさえ大変な状態なのに」と無意識に感じていたのだろう。
いつしか「自分さえ我慢すれば、全てうまくいく」と考え、感情に蓋をすることを覚えた。これは成育環境への適応ともいえる。
アダルトチルドレンだったかもしれない。
しかし、抑圧された感情はやがて「出してくれ」「無視しないでくれ」と叫ぶようになり、心身に不調をきたす。
僕は気づけば書くようになっていた。書くことで自分を癒し自分を解放しようとした。
結果からいうと、書き切ることで以前よりも心が安定し、自分を好きになれた。
ようやく許可ができた。
「いつも我慢してきたんだから、そろそろ本当の気持ちを書いていい」と自分を許せたのだ。
社会でネガティブな感情を表出すると、孤立するリスクがある。
しかし抑圧して生きるより、解放して嫌われた方がいいのではないか。
偽りと抑圧は心に悪い。
幸いなことに僕の場合、解放した結果、前よりも仲間に恵まれ、自他と深く心がつながるようになった。
ネガティブな感情を表出することは、過去に反抗できなかった自分を今、出してやることでもある。
きっとポジティブなあなたもネガティブなあなたも、どちらもあなたにちがいない。
嫌われても大丈夫。
自分で自分を愛し、つながりとぬくもりを感じたあなたには、また新しい仲間ができる。
僕は「自分の感情を偽らず素直に生きる」と決め、生き直した。すると、ズルい人間がどんどん姿を消した。
自身を偽りながら生きていると、同じような人間が集まってくる。
人は、同じレベルで同調するようにできている。長期的につながりを持てる人は、同じレベルの人だけだ。
もしあなたが素直に生きられるようになったら、同じく素直に生きている人とつながれるだろう。
自分らしく生きられている人は、本当の意味でおだやかだ。リラックスしている。
幸福感に包まれているので、人を攻撃しない。
攻撃や加害とは心理的に充足できていない人の、防衛反応なのである。
「反抗期がなかったけど、長年の抑圧に苦しんでいる」という人ほど、書くことで感情を解放するといい。
その結果、離れていった人は、あなたにとって必要のなかった人でしかない。
空いたスペースには必ず、別の何かが入る。
あなたが変われば、その余白にはあなたが本当に追い求めていたものが入る。
執着を手放すために、本当のあなたに戻るため、奥底に溜まった澱のような感情を解放する。
勇気がいるものの、書き切ると怨みや憎悪は昇華され、すっきりした気持ちになるだろう。
そして「なんで自分はあれほど、怒っていたのだろう」と不思議に思うはずだ。
我々にとって書くことは救済である。
書くことはつらい。書くことは楽しい。だから書くことは、やめられない。
あなたには、まだまだ書けることがある。きっとたくさんあるし、新たに書きたいことも見つかるだろう。
実はそれって、とても幸せなことなのだ。