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【HSP】繊細な人ほど、本を読め。

繊細な人ほど、本を読んでほしい。

それは、HSPさんの類稀なる「感性の豊かさ」
これに磨きをかけるべきだと考えるからだ

少し前までのぼくなら、こう強くは言わなかったかもしれない。

むしろ「敏感すぎるから行動しすぎないように」とまで言った可能性すらある。

でも、今はそう思わない。

どんどん浴びるように、本を読んでほしい。



そして、できるなら「小説」がいい。

ビジネス書や新書、専門書などでもいいのだが、感性をよりよく育てたいのであれば、小説一択なのだ。

それはなぜか。

小説には、想像の入りこむ余地が無限に存在するからだ。

SF小説などは、その際たるものだろう。

要は、その世界に主人公としてはいっていけたり、同じような目線で徘徊できるような自由度があるのが、小説なのだ。

ビジネス書などでは、そうはいかない。

  • 特定の場面での身の振り方

  • しゃべりかた

  • 気持ちの持ちよう


これと似たようなことに限定されたり、思考の広がりがそのジャンルに影響を受けてしまう。

しかし小説は、良くも悪くも限定されない自由さがある。

どこまでも広がる荒野。時に、宇宙空間にも思いを馳せ、そうかと思えば過去や未来にも進む。暗く狭い密室に閉じ込められることもあるだろう。

そして、そんなバラエティに富んだシーンに加え、人の感情という不確定要素が、これでもかと言わんばかりに盛りこまれるのだ。

思考に限りがなく、解釈も無限に広がる。

最終的には決まった形(結末)に到達をすることになるのだが、その着地点も各個人の経験の有無やその深さで、いかようにも感じ方が変わる。

そして、心がおおきく動かされるのだ。

物語の過程に感動するかもしれないし、結末に驚きの情がわくかもしれない。はたまた冒頭で頭を鈍器で殴られたかのような衝撃を受けるかもしれない。

そのすべてが1冊に集約されていて、感情のキャパを超えてくるかもしれない。

そんな、未知数なポテンシャルを秘めた体験ができるのが、読書であり、本の魅力なのだ。

読まない手はないだろう。

自分を変えたいと躍起になるのもいいし、もがくのもいい。

ただ、持って生まれたその素晴らしい感性を無視しないでほしい。

なかったものとしないでほしい。

それをすることは結局、自己の否定となり、自己肯定感の喪失を招きかねない。

ないものを嘆き、新たに獲得しようとしなくていい。

するべきは「今ある才能の芽」に気づくこと。


そして、一分一秒でも早くその芽に、体験という名の「水」をやり、アウトプットという「肥料」を与えることだ。

ぼくは「あたらしい武器の捜索」と「才能の芽の育成」を同時にはできなかった。

もちろん、やろうとはした。

しかし、その結果は不眠症、適応障害、うつ病と散々なものとなった。

ぼくにとってそれは、マルチタスクすぎたのだ。

2頭を追うものは1頭も得ず、まさに歴史が証明していたことをなぞった瞬間でもあった。

今思えばだが、先人の残した血まみれの轍(わだち)のうえを歩まなくてよかったのに、と考えてしまうが後悔はしていない。

仕事、感情、すべてを失ったあとの膨大な空き時間の中で、ぼくは読書とめぐり逢えたし、その重要さに気付くことができた。

重要さというより、小説とHSPの「相性の良さ」に気がつけたのだ。

出る杭は打たれる。という諺があるが、またこれには続きがあって「出すぎた杭は打たれない」というものもある。


今からでも、まったく遅くない。


人生、「今」がいちばん若い瞬間なのだから。

ゆっくりじっくり、感性という長所の芽を、読書を通じて大木にまで育ててみたくはないだろうか。

だれもが打てない大木に。自分を誇れる大木に。

そしていつしか、だれもが集まる大木に。




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