太陽が消えた夏③
娘に散々罵られたあの日から、私は生きる意味が分からなくなった。不器用なりに娘を一生懸命育ててきたこの年月は、脆くも幻に変わった。過去でも思い出でも何物でもなくなり、私の中でガラガラと音を立てて崩れ去ってしまった。
本当に目の前が真っ暗というのは、この時のことを言うのだろう。きっと日差しが強くて暑かったであろう夏なのに、どこを見渡しても太陽なんか出ていないような真っ黒の記憶、今もこの夏のことは娘と決裂した日以外あまり思い出せなくて、悲しい気持ちだけが湧き上がってくる。
『もういつ死んでもいいんじゃないか』
そんな気持ちを抱えて過ごしていた、それだけはずっと思っていた。誰かと会って顔は笑っているけれども、「この人に会うのも、これが最後かもな」と心の中で呟いている、そんな毎日。
仕事をしていても涙が出てくるが、何もしてないよりは気が紛れた。そして足取り重く家に帰ってきても娘は出かけているか、部屋にこもって誰かと電話で話していて出てもこない。晩ご飯も別々、もちろん娘の分も作っておくがいつ食べているのかも分からない。私が作った食事が気に入らないのかテイクアウトもしょっちゅうで、娘の部屋には食べた後の食器や容器がそのままになっているので、娘が出かけている間に片付けておくか、私が居ない間に娘が台所に運んであるか。
なんでこうなってしまったのだろう。
もう何もかも壊れてしまって愛情の欠片も、一粒も残っていない、こんなにも我が家がモノクロで無機質で薄暗く見える。こんな状態の家で、この先ずっと日々泣きながら暮らしていくことに耐えられる気がしない。
最初から独りだったなら感じないだろう、家族が家族じゃ無くなった喪失感。
離婚した時にもそれなりの喪失感は感じたが、子供達がいるから頑張ってこれた。でも今の私にはもう、いたはずの娘がいない。
父からも娘のカウンセラーからも、
「関係の修復をしなければいけない」と言われたが、
『何を?どうすればいいの?こんなに嫌われて存在すら否定されているのに、何をすればいいって言うんだろう…』
責められてる気持ちにしかならなかった。「わかりました」と言えるほど、私はそんなに強くもなければ賢くもない。
どん底に突き落とされて、それでもまだ石を投げられているような気持ちだった。
その後しばらくして、開業医から娘の入院を勧められた。開業医のところでは入院することが出来ないので、病棟がある総合病院でまずは診察といったところだった。
それまで軽躁状態で私を避けていた娘だったが、気分の波が落ち着き始め、少しだけ会話するようになっていた。また、車の運転も億劫になり始めていた。
「お母さんの車で一緒に行く?」
気乗りはしていなかっただろうが、車で片道1時間かかることもあり、一緒に行くことになったのだった。