著…山田宗樹『代体』
こんばんは。
「不老不死」というものに関心がある方におすすめの本をご紹介します。
※注
結末までは明かしませんが、以下のレビューには一部ネタバレを含みます。
「自分」とは誰なのか?
自分が自分であることをどうやって証明するのか?
生身の肉体から離れ、意識だけの存在となり、自分の名前を忘れ、自分がどんな姿をして、どんな声をして、どんなことが好きで、どんなことが嫌いで、どんな人たちとどんな風に暮らしていたのか記憶を失っても尚、自分は自分であると言えるのか?
…という問いを読者に投げかけるSF小説です。
人間の体の代わりとなる人造の体「代体」を通して、そうした哲学的な問いが描かれます。
「代体」は、たとえば病気や障害によって行動を制限されている人が意識を「代体」に転送し、「代体」の中にいる間は自由に行動し、一定期間が過ぎたら元の体に戻る…といった利用を目的としたシステム。
しかし、悲しいかな、いつの時代にも悪いことを考えつく人間がいるものです。
「代体」のシステムが悪用されるケースが発生します。
人間の生身の肉体を「代体」にするために何の罪もない人たちを拉致してその意識を消去し、空いた肉体に自分の意識を移し替えて生き続けようという恐ろしい輩たち。
それを取り締まる人々。
消去事件の被害者とその家族たち。
そして「代体」システムの創始者とその家族たち…。
そうした様々な登場人物が出てきますが、共通して描かれるのは、「自分」というものの輪郭のあやふやさ。
人間は自分以外の人間を通してしか自己を認識できません。
もしも自分の意識が別の人間の体に入った状態で元の自分を知る人間とばったり出会ったとして、相手が自分の存在に気づいてくれなかったら、果たして自分はこの世に存在していると言えるのか? …という耐え難い孤独も描かれます。
自分がここにいることに気づいて欲しい、寂しい、悲しい、名前を呼んで、という無音の絶叫が登場人物たちから伝わってきます。
悪役の立場にいる人物さえも、自分の名前を呼ばれた時に喜びます。
自分が存在することを誰にも知られてはいけなかったのに、自分の名前を呼ばれたら反応せずにはいられなかったのです。
その人物がやったことは確かに悪役のそれなのですが、同情を禁じ得ません。
これまでどれほど惨い心細さを味わってきたのだろう、と…。
この小説を読んでみてわたしが思うのは、昔から人類の中には「不老不死」を願う人がいるけれど、そんなのちっとも良いものなんかじゃない…ということです。
この小説の中では、悪役たる人物が本物の肉体のことを「軛」と表現し、肉体やセンチメンタルな感情から解き放たれることによって神に等しい存在になろうとするのですが、神に近づいたって幸せにはなれないのです。
きっと人間が真に求めるものは、不老不死になることでも神に近づくことでもなく、自分がこの世に存在することに気づいてくれる相手なのですから。
別に、友人や恋人や家族といった特別な間柄の相手でなくたって、たとえばどこか外出先で出会った名も知らぬ相手と言葉を交わしただけでも、人間の心は癒されるはず。
たとえそのことが相手の記憶にいつまでも残らなかったとしても、その時確かに自分は相手にとって「ここにいる人間」として認識されているから。
自分に気づいてくれる相手がいなければ、たった一人で不老不死になったところで意味はありません。
そんな荒涼とした孤独な世界、わたしなら御免です。
それは地獄ですから。