著…宮沢賢治 絵…清川あさみ『銀河鉄道の夜』
幻想的な表紙に惹かれて、わたしはこの絵本を手に取りました。
ジョバンニの涙なのか、それともカムパネルラの魂がジョバンニや家族に別れを告げているのか…。
暗闇の中で光り輝く雫が、悲しげでありながらも美しいです。
※注意
以下の文は、結末まで明かしてしまうネタバレを含みます。
未読の方はご注意ください。
この絵本のページを捲っていくと、まるで自分もあの世とこの世の境に迷い込んで、ジョバンニやカムパネルラと一緒に銀河鉄道に乗って旅をしているかのような…、不思議な感覚になります。
カムパネルラがジョバンニに思い切ったように言った、
という言葉がとても切ないです。
まるで自分もその言葉を耳元で囁かされたかのようにギクッとします。
…カムパネルラは自分がどうなったのか気づいていたのでしょうか…?
また、カムパネルラはジョバンニに、何かを決意しているかのように、
と言い、その隣のページには、白い十字架から降り注ぐ沢山の金色の光がジョバンニとカムパネルラを乗せた銀河鉄道に降り注いでいく光景が描かれています。
神々しいけれど、死を思わせる光景です。
そんなジョバンニとカムパネルラは、旅の途中で色んな人と出会います。
出会った人のうち、ある青年が他の子どもたちに「もうじきサウザンクロスです。おりる支度をしてください」と言うので、
「僕たちと一緒に乗って行こう」
とジョバンニが言うと、
その中の女の子が寂しそうに、
と返事をして、みんな下りていってしまいました…。
このくだりを読んでいて、わたしは子どもたちを引き戻したい衝動に駆られました。
子どもがここまで来たのには、病気、事故、災害、犯罪など様々な過程があるでしょう。
この中のたった一人でもいいから誰か子どもを親元へ返してあげたいです。
青年もそうです。
きっと青年が死んでしまって泣いている人もいるはず。
子どもたちのことも、青年のことも、この世に連れ帰りたい!
でも、どうにも出来ません…。
また、ジョバンニが「カムパネルラ、僕たち一緒に行こうねえ」と声をかけると、カムパネルラが消えてしまったことも、とても切ないです。
実はカムパネルラは、ジョバンニをからかっていじめていた同級生のザネリが川に落ちたので、すぐ飛び込んでザネリを助けたけれど、カムパネルラ自身はそのまま行方知れずになってしまったのです。
カムパネルラがジョバンニをこの世に置いて行ってくれたことを感謝すると共に、そういう優しい子にこそ大人になってこの世界をより良くしていって欲しいのに、なぜ幼くして…と残念でなりません。
ただ、ここで注目したいことがあります。
それは、『銀河鉄道の夜』では、はっきりと「カムパネルラが亡くなった」とは名言されていないこと。
カムパネルラが川に落ちてから45分も経ってしまったので生存の可能性が絶望的になった、という描写があるのみで、『銀河鉄道の夜』は未完結のまま終わるのです。
ですから、わたしは勝手に想像します。
カムパネルラが生きて帰って来る結末を。
これを読んだ方の中には、「何を馬鹿な。死んでいるに決まっている」と笑う方もいるかもしれません。
でもわたしはカムパネルラに生きていて欲しいのです。
自分を犠牲にしてでも誰かを助けようとする、そういう立派な人にこそ生きて欲しい。
そういう人が増えなければ、いつまで経っても世の中はいじめた者勝ち、殺した者勝ち、逃げた者勝ちで、被害者は泣き寝入りするばかり。
「他人を犠牲にしてでも自分さえ良ければ良い」という人が生き残っていきます。
それではいつまで経っても理不尽な世の中のまま。
だからわたしは勝手に想像します。
カムパネルラが川で溺れて意識を失い、銀河鉄道で臨死体験をしながら流されていき、流されていった先で誰かに助けられて、息を吹き返し、ジョバンニや親のところへ生きて帰り、やがて成長し、勉強をしたり仕事をしたり恋をしたりしながら大人になって幸せに暮らす…という結末を。
そして、わたしは祈ります。
宮沢賢治自身もまた、この美しい銀河鉄道に乗って、大好きな妹と天国で再会できていますように…と。
〈こういう方におすすめ〉
幻想的で切ない絵本を読みたい方。
〈読書所要時間の目安〉
2時間前後。
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