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著…中村文則、佐川光晴、山崎ナオコーラ、窪美澄、朝井リョウ、円城塔『きみに贈る本』
作家さんたちがおすすめの本を紹介している本。
まず自己紹介代わりに自著を一冊。
それから他の作家の作品を数冊。
それぞれの視点で思い思いに本の魅力を語っています。
たとえば、安部公房『砂の女』、ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』、北杜夫『どくとるマンボウ青春記』、カフカ『審判』、ジョージ・オーウェル『オーウェル評論集』などなど…。
作家の出身国も世代もジャンルもバラバラの本が集まっています。
特に、大岡昇平『俘虜記』、夏目漱石『吾輩は猫である』、太宰治『人間失格』は2名以上の作家がそれぞれ紹介しているのですが、同じ本なのに取り上げ方が異なるのが興味深いです。
どこに注目し、どう解釈し、どう切り取り、どう表現するか。
きっとそういったところに作家性が表れるのでしょうね。
また、本の読み方も様々。
中村文則さんの、
読み終わってからふと思い、安部公房のプロフィールを見直し、新たに感動したこともよく覚えている。当時の僕の好きな日本作家(芥川龍之介・太宰治・三島由紀夫など)は、自殺していることが多かった。でも安部公房は自殺していない。病死である。作品を読めば彼が生き難さを抱えていたことは明らかだけど、彼はそれでもちゃんと、自分の人生を全うした。そのことが、嬉しかったのだった。
という言葉に、わたしはハッとさせられました。
こういう本の味わい方もあるのですね。
自殺した人だって、きっとその人なりに懸命に生き抜いた結果、そういう道を最終的に選んだのでしょうが…。
やはり、ファンにとっては、お気に入りの作家が自分の命を途中で手折らなかったということは嬉しいもの。
逆に言えば、たとえば太宰治の場合、ああいう「いつかやるとは思っていたが本当にやったか…」と誰もがある意味腑に落ちるような最期を遂げることも、もしかしたら人気の理由の一つになるのかもしれません。
そうして作家の最期が良くも悪くも作品に一振りのスパイスを与えることもあるのでしょうね。
さて、わたしは山崎ナオコーラさんの、
父は、昨年の夏に亡くなった。闘病生活の中、日に日に衰えていき、ペンさえも重く感じて文字を書くのが大儀になってきたらしいのに、本当に動けなくなるぎりぎりまで、毎日私と母が持ってくる二誌の新聞を読んで、知らない言葉に出会うと、ノートに書き写していた。もともとは定規で引いたようなきっちりとした文字を書く人だったのだが、そのときはもう、ふにゃふにゃの読みにくい字になっていた。父は、おそらく死期を察していた。それでも初めての言葉に出会うと覚えようとする。その姿勢を見て、言葉のなんたるかを私は知った。「人に何かを伝える」「未来に向かって思考する」などという用途のみではないのだ。「新しく言葉を知る」というそれ自体に意味がある。言葉は死ぬ直前まで人間に活力を与える。
という言葉にグッときました。
願わくば、わたしもお父さまのようになりたいです。
命ある限り、言葉を識り続けていきたい。
〈こういう方におすすめ〉
これからどんな本を読むかという道しるべを探している方。
〈読書所要時間の目安〉
2時間くらい。
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