著…エドワード・ゴーリー 訳・・・柴田元幸『ギャシュリークラムのちびっ子たち または遠出のあとで』
AからZまで様々な名を持つ子どもたちが様々な死に方をしていく…という不気味な絵本。
「ギャシュリークラム」が何者なのかは明かされないまま、子どもたちの死因が淡々と綴られていきます。
わたしはこう解釈しています。
ギャシュリークラムは死神かもしれない、と。
ギャシュリークラムにとっては、どの人間も「ちびっ子」。
ちびっ子たちはギャシュリークラムの存在に気づいていない様子。
Aの名を持つエイミーは階段から落ちて。
Bの名を持つベイジルは熊にやられて。
Cの名を持つクララは痩せ衰えて・・・。
それらの死に方から、その「ちびっ子」が何歳くらいで死に、その背景にどんなことがあったのかが想像できます。
Eの名を持つアーネストは桃で窒息して(高齢だったのかもしれません)。
Gの名を持つジョージは絨毯の下敷きになって(乳児もしくは幼児だったのかもしれません)。
Nの名を持つネヴィルは望みを失くして(自殺したのかもしれません)。
ちびっ子たちのこうした死はギャシュリークラムのせいなのでしょうか?
恐らく違うでしょう。
わたしには、表紙にのみ現れるギャシュリークラムの姿(これが本当にギャシュリークラムなのかどうかも分かりませんが…)から、ギャシュリークラムがちびっ子を愛しく思っているように感じられるのです。
どんな死に方をしたちびっ子も愛しい…、ギャシュリークラムはそう思っているのではないでしょうか?
ちびっ子たちはそれぞれ必ず死んでいきます。
予期せぬ時に。
予期せぬ死に方で。
時には自ら命を絶つ子もいますし、殺された子もいます。
…だからギャシュリークラムは嗤っているのでしょう。
ちびっ子を自殺に追いやった者も、殺した者も、いつかは必ず死ぬのだ、と。
みんな自分の可愛いちびっ子たちだ、と…。
…そう考えるとゾッとします。
人間の死亡率は100%。
わたしを含め、この世の全ての人がいずれは皆ギャシュリークラムの可愛い「ちびっ子」になるのでしょうね…。