著…工藤哲『母の家がごみ屋敷 高齢者セルフネグレクト問題』
親の死後、実家の玄関のドアを開けたら、物がいっぱい。
どこから中に入ればいいかも分からない。
やらなければならない死亡後の手続きが山ほどあるのに、印鑑も通帳もどこに埋もれているのか検討もつかず、途方に暮れた!
…なんてことになってしまった人たちの例を赤裸々に紹介している本。
似た状況の方や、そういう状況になりそうな方の参考になりそうです。
わたしは仕事でごみ屋敷の住人の支援をすることがあるのですが、この本にも書かれている通り、ごみ屋敷を形成してしまう理由は本当に人それぞれ。
もともと片付けやゴミ出しが苦手だった人が気力・体力の低下によって更にごみを溜めこんでしまうケースもあれば、以前は綺麗に暮らしていた人が家族や友人やペットを亡くした寂しさから物を収集し始めてとんでもない量となるケースもあります。
とこの本にも書かれている通り、もしかしたらごみ屋敷は、ある種の自傷行為とも言えるのかもしれません…。
周囲からの孤立。
諦め。
そして絶望…。
生ゴミやネズミや猫の死体が放置され、人間の尿の入った酒瓶だらけの家に住んでいる人が(住んでいるというか物と物の間に人間が納まっているという表現がふさわしい状態)、「このまま死なせてくれ!」と叫んだケースもわたしは経験したことがあります。
ごみ屋敷の住人は「物を溜め込むだらしのない困った人」ではなく、「物を溜め込むことでしかSOSを発信出来ない人」とも言えるのではないでしょうか?
とはいえ、周りの人は困りますよね。
近所にそういう人がいるとはっきり言って迷惑ですし、身内にそういう人がいれば絶縁したくなっても無理はありません。
綺麗事では済まない問題です。
この本でも指摘されている通り、ごみ屋敷が火事になるリスクは高いですし、虫やネズミの発生源にもなりかねません。
しかし、「家が汚いので片付けましょう!」と声かけをしても、ごみ屋敷の住人は「汚くない! 人の手を借りるほど困ってない!」と支援の手を払いのける可能性大。
仮に片付け業者の手を借りて強制的に片付けたとしても、心の問題が解決しない限り、あっと言う間に元通りのごみ屋敷に戻るだけ…。
根気強く何度も何度も何度もごみ屋敷を訪れて住人から話を聞き、「この人はわたしの話を聞いてくれる人だ」という信頼関係を築くうちに、自然と本人自らが「少し片付けてみようかなと思うんだけど、まずどうしたらいいと思う?」と片付けのために人の手を借りようという気になった実例を、わたし自身も何度も経験しました。
なかなか理想通りにいかないことだらけですが…。
たいてい、ごみ屋敷の住人にとって、片付けを勧める人間は敵ですから。
これは高齢者に関する本ですが、高齢者に限らず、若年層の引きこもりのごみ屋敷もそうですし、一見普通の会社員だけど部屋がめちゃくちゃでクローゼットもベランダもゴミ袋だらけ(ゴミ袋に入っていれば随分まともな方)の人への支援も、きっと根っこの部分は一緒なのだろうなと思います。
根深い心の問題。
〈こういう方におすすめ〉
ごみ屋敷問題を他人事ではないと感じている方。
〈読書所要時間の目安〉
2時間半前後くらい。