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著…京極夏彦×柳田國男『遠野物語remix』
明治43年に発表された柳田國男先生の『遠野物語』を、京極夏彦先生が補足や意訳や順序変更等のアレンジを加えて現代に改めて送り出した異色の本。
わたしは以前原典を読もうとしたものの、古き良き美しい文体であるが故に思うように読み進められず挫折してしまったことがあります。
そんなわたしでも、この本のおかげでついに『遠野物語』を読むことが出来ました。
京極先生の文章がとても美しいので、目で読むだけでなく、音読して味わいたくなります。
遠野という地名の由来や歴史的背景を紐解きながら、「人ではないもの」についての話へと様相が変化していきます。
まずは「山人(やまびと)」。
姿形は人に似ているけれど、人ではありません。
いわゆる「山男」や「山女」のことなのですが、その実態は謎。
背が異様に高かったり、顔が赤かったり、民家から女性を攫ったり…。
山人以外にも、河童、経立といったものと遭遇したり、言葉では言い表せない奇妙な体験が綴られています。
占い、咒い、異類婚姻譚…。
この本を読んでいると、なんだか自分まで夢と現実の狭間を漂っているかのような気分を味わえます。
今は、何か分からないことがあってもスマホやパソコンで何でも検索することが出来る時代ですが、この本に描かれている「人ではないもの」の正体は謎。
何でも分かるかのように思える現代だからこそ、得体の知れないものの不気味さがより色濃く感じられます。
そんな中でも特に切なく感じられるのは、臨時体験についてのくだり。
「(中略)なおも進むと、以前に幼くして失った息子がいた。
〝父っちゃ、お前も来たか〟
と言う。
何と懐かしいことだろう。お前が死んでどれだけ哀しかったか。
〝お前はこんな処に居たのか〟
と松之丞は言って、息子に近寄ろうとした。
ところが息子は、
〝今は来てはいけない〟
と、言う」
生きようとする体が見せた幻なのか?
それとも本当にあの世の人と会えたのか?
正解は分かりませんが、わたしは後者だといいなと思いました。
せめて一目でも会えたら…。
たとえそれが死者であろうと愛する我が子のそばにいきたいと願う親の気持ちと、まだこちらへ来てはいけないと諭す子の気持ちを想像すると、ひどく切ないです。
恐ろしい話ばかりの『遠野物語』の中で、この話は特に異彩を放っていると感じました。
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