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天上への斗争〜松本清張『千利休』(1957)

 緊急事態宣言下8日目の5月2日(日)。先々月の堺市訪問を思い出している。たまたま、同市内にある千利休の旧居跡地(と言われている)を通りがかり、松本清張『千利休』を読みたくなった。勅使河原宏氏の映画『秀吉と利休』、または野上弥生子の小説『秀吉と利休』について書こうかとも考えたが、清張の緊密で高品位な作品を再読した。

 この短編は、12編の連載『日本芸譚』の一つである。「芸術新潮」誌の昭和32年3月号に掲載されたということである。

 「秀吉は、遂に死を抛ってきた。とうとう秀吉は敗北した!七十歳の利休は、眼に満足げな、翳の多い笑いを泛べた。」(『小説日本芸譚』新潮文庫・平成20年改版P94)

 秀吉から死を命じられたときの利休の心境を表している。この部分が、この作品の白眉だと思う。

 松本氏は、本連作以外においても、例えば『昭和史発掘』では芥川龍之介、小林多喜二などを取り上げ、その他、森鴎外に関連した著作もよく知られている。それらの物語では、芸術家と政治・社会との相剋がリアルに、と言うか、生臭く描かれている。

 利休は、天下人たる秀吉を、さらに天上に引きずり上げ、そして勝利した。

 ところで、秀吉との神経戦の果てに死罪となった人物に小西行長がいる。彼の魂の居所も、キリシタンであったが故に、天上にあった。たまたま、秀吉の死が先だったため、死を命じられなかったにせよ、その経緯からすれば殺されたも同然である。

 芸道や芸術が、権力斗争を通じて獲得するものは何か。それは、美であり、自由であり、尊厳かもしれない。まあ、抽象的な言葉を並べ立てても、貧しく空しく響くだけだが。

 目下、地上では芸術活動が危機に瀕している。芸術家は、現実と斗うべきか、それとも別の道を見いだし得るのだろうか。

 そういえば、千利休も小西行長も堺の人であった。



 

 

 

 

 

 

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