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かなしみ

 喫茶店や定食屋で食事をしていると、隣席での会話が耳に入り込んでくる。そこに興味深い言葉を見つけると、どうしても話の内容が気になって耳を澄ましてしまう。典型的な盗み聞きである。
 そのときいつも思うのは、世の中、不満だらけだ、ということ。会話の内容の大半は、ネガティヴなワードで占められている。家族への不満、同僚についての愚痴、政治家に対する非難……その中には積極的になされるべきものもあるが、食事中に側から聞いている身からすると、「せめて食事中はポジティヴな話をした方が、料理も美味しく……」と思ってしまう。まあ、勝手に盗み聞きしている人間に、そんなことを言う資格はないわけだが。

 「せめて食事中は……」という不満を抱くとき、一つ思い出される詩がある。この詩が頭の中で再生されると、「でも、やむをえないか」と不満が解消へと向かう。

「消えやすいよろこびを 何で
 うたつてゐるひまがあらうか。
 アイスクリィムを誰が咀むか。
 悲しみは堅いから、あまり堅いから
 (咀んだり嚥んだり消化したり)
 人はひとつのかなしみから
 いくつもの歌を考へ出すのです。」
佐藤春夫『春夫詩抄』岩波文庫、P84)

 ネガティヴな物事は、それを受け入れるための咀嚼する時間を必要とする。喫茶店や定食屋での会話は、その咀嚼を行うための重要な機会なのだ。ーー「詩論」と題された上記の詩から、私はこのような理解を得た。
 作者の佐藤春夫の卓越さが光るのは、よろこびを「アイスクリィム」という言葉で表現している箇所だろう。アイスクリームを味わい尽くすために、一口ひとくち丁寧に咀嚼する人間はいない。そんなことをしていたら溶けてしまう。止まることなくパクパクしていく、それがベストなのだ。

 飲食店の隣席からネガティヴな会話が聞こえてきたら、一先ず「いまこの人は咀嚼中なんだな」と思うようにする。ちょっとした心がけ一つで、周囲の見え方は変わっていく。




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