
隙間
「酒でしかふさげない
隙間があるんだと
詩人はいった
部屋のすみは
洗濯物の
こだかい丘であった
酒でたりないぶんは
あれで隙間をふさぐのだろうか」
(谷川俊太郎編『辻征夫詩集』岩波文庫、P42〜43)
こんなことを言われてしまうと、酒を飲まない私は考え込んでしまう。私は酒の代わりに、何をもって隙間をふさいでいるのだろう、と。
酒好きの友人からも、「ずっと素面で生きるなんて、信じられん」と幾度も言われてきた。私からすると、時間さえあれば酒を飲もうとする友人は、とても不安定そうに見え、酒を飲んでいるというより、酒に呑まれている。それなら、素面で全然構わない。
*
「どこか遠くにいるだれでもいいだれかではなく
かずおおくの若いひとたちのなかの
任意のひとりでもなく
この世界にひとりしかいない
いまこのページを読んでいる
あなたがいちばんききたい言葉はなんだろうか」
(谷川俊太郎編『辻征夫詩集』岩波文庫、P142)
この詩を読んで気づいたことは、「この文章は、私に向けて書かれた言葉だ」と強く思い込める文章に出会えたときに、私の隙間はふさがれるということである。そんな言葉には滅多に出会えないが、その分巡り会えたときの感動は一入である。
面白いのは、私には嵌まらなかった文章が、別の人にとっては「この文章は、私に向けて書かれた言葉だ」と感じる場合があることだ。これは、自己と他者の間でだけ生じるものでもなく、自己内でも起こる。ある時期にはピンとこなかった文章が、数年後ギュッと胸を摑んで離れなくなることがある。
実は、今回取り上げている、『辻征夫詩集』もそうなのだ。初読時はーー約5年前ーーあまり印象に残る文章はなかった。当時読書中につけていたスマホのメモを見ると、詩の一部と自身の感想が打ち込んである。
「(世界中でそこしかいたい場所はないのに
別の場所にいなくてはならない
そんな日ってあるよね)」
(谷川俊太郎編『辻征夫詩集』岩波文庫、P110)
⇨どれだけ科学技術が発展しようと、人間が物理的に立ちうる場所は一箇所だけ。もしこの限界さえも突破できる技術が開発されたら、人間関係はより混迷を極めるだろう。人間付き合いのために、あらゆる場所で顔を出さなければならなくなる。
メモをとる私は、この時何を考えていたのだろう。今となっては分からない。
次回『辻征夫詩集』を読み返すときは、過去二回分の読書メモを見直すことになる。三度目も、また新たな発見があるだろうか。
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