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紙一重

 佐藤正午のエッセイに「傘にまつわる悔しい話」という一篇がある。
 ある雨の晩、利用したハンバーガー屋さんの店先に、若い女性が立っている。傘を持っていないから動きがとれない、そんな様子に見えた。
 佐藤は女性に「どっちですか」と訊ねる。駅でもバス停でも、途中まで一緒にどうですか。親切心からの声かけだった。
 次に「入りませんか」と話しかけると、女性は無言のまま雨の中へ駆け出していく。逃げるように。佐藤はその様子を眺めながら、けっこうです、の一言ぐらいあってもいいのにな、と思う。
 見知らぬ人間どうしの出会いから物語が始まっていく、そういう小説を書いていた佐藤にとって、このときの体験は後を引くものとなった。

 私が同じような場面に立ち会ったら、どう行動するだろう。エッセイを読了後、そんなことをつらつら考えてみた。
 まず断言できるのは、女性には声をかけない、ということ。これだけ書くと冷たい奴だが、相手の立場に立って考えてみれば、こういう結論になる。
 いきなり男性に「どっちですか」と声をかけられたら、不気味かつ怖い。状況から傘の話をしているのだろうと察しても、すんなり「こっちです」と引き受けようとは思わない。
 万が一声をかける可能性があるとすれば、そのまま譲ってもいい予備の傘を持っている場合だろうか。「これ使ってください。自分の分はあるんで」こんな感じに……実際に実行できるかは分からないが。

「彼女はそのとき、一人でずっと雨の街を眺めていたい気分だったかもしれないのに。それを邪魔されて怒っただけかもしれないのに。」
佐藤正午『かなりいいかげんな略歴』岩波現代文庫、P186)

 エッセイの終盤で著者自身が反省しているように、店先に立っていた女性が本当に困っていたのか、という点についても、再考が求められる。女性が傘を持っていない⇨困っている、と早合点して、不要な親切を振りかざした可能性がある。
 とはいえ、今後同じシチュエーションに遭遇したとき、必ず声かけが不要な親切になってしまうかどうかは分からない。「ありがとうございます、助かります」と反応があり、本当に手助けができるかもしれない。

 賑わう商業施設や駅構内を歩いていると、「こんなに人がいるのに、ただの一人とも交流することはないのだなぁ」と淋しい気持ちになることがある。ただ一方、そう思っていた矢先、行き交う人の一人から「あのー、すみません」と声をかけられれば、私は戸惑い、距離を置こうとするだろう。
 矛盾する私。あなたはいったい、どうなることを望んでいるのか。ずっと考えているが、未だ答えは出せていない。




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