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愛読者

 一人の作家のファンになる。そういう経験が乏しい私にとって、何がきっかけでファンになったか、という話にはとても関心がある。
 気づけばファンになっていた、というパターンは多い。この作家嫌いじゃないかも、から始まって、著作を読み進めていくうちに、「かも」が確信に変わっていく。「この作家、好きだわ」となった日には、自宅の本棚はその作家の本でいっぱいだ。

 ある読書会で知り合った女性(当時、高校生)は、自己紹介の中で「私は澁澤龍彦が好きなんです」と宣言した。「宣言」という言葉を使ったのは、その発言に、私の「好き」はそんじょそこらの「好き」とは違いますよ、という熱量を感じたからだ。
 そうなると気になるのは、何がきっかけで澁澤龍彦を好きになったか。
 訊ねてみると、待ってました!と言わんばかりに、眼が輝く。バックから手帖らしきものを取り出すと、「これなんですけど」とある一頁を示してきた。そこには、全体的に丸みを帯びた字で、以下の文章が書き込まれてあった。

「一つの種を、一つの個体によって代表させてしまう。標本箱には、なにか恐ろしいような抽象化と普遍化の精神が密封されているような気がしてならないのは、私だけだろうか。標本箱に展示された蝶は、一匹の個体としての蝶であると同時に、また類としての蝶でもある。」
澁澤龍彦『都心ノ病院ニテ幻覚ヲ見タルコト』小学館、P207)

 彼女によれば、この文章を読んだとき、全身が総毛立つ感覚と脳の中が溶けていく感覚を、同時に覚えたという。
 蝶がおさまる標本箱を、種(あるいは類)と個体、抽象化と普遍化といった言葉を用いて描き出す手腕は、たしかに卓抜で、衝撃を受けるのも頷ける。さらに、澁澤龍彦の描写を通して、「標本箱」という事物に神秘さが付与されている点も見逃せない。そこから、「〇〇を、澁澤ならどう表現するだろう」という好奇心が掻き立てられ、澁澤龍彦の世界に入り込んでいく。

 好きな文章を教えてもらった後も、彼女の澁澤龍彦語りは熱く続けられた。
 故人である一作家は、今でも熱烈な愛読者を生み出し続けている。



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