消化不良
一応最後まで目を通したものの、消化不良で終わってしまう本というものがある。
まあ、本当に完全消化することなど困難だとは思うが、せめて「大体は概要を摑めた」と言えるレベルにはもっていきたい。
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消化不良を解消していく方法には様々なものがあるが、バージョン違いの本を手に取ってみるのも一つの手だ。
一つのタイトルには、それが古典と評されるものであればあるほど、複数のバージョンが存在する。翻訳者が違ったり、編者が違ったり。扱っているテキストが同じであるからといって、その違いを軽んじてはいけない。時に、まったく別の本を読んでいるのではないか、という体験をすることもある。
最近の実体験で言えば、パスカルの『パンセ』があげられる。
私は最初、岩波文庫版『パンセ』(上・中・下)を手に取った。参加していた勉強会の課題図書であったので、頑張って読んだ。ただ、私の読解力不足が祟り、明らかに消化不良のまま終わってしまう。
次に手に取ったのは、白水社から出ている『パンセ』。これは「ブランシュヴィック版」と呼ばれるもので、現代の読者でも読みやすいよう、『パンセ』の諸断章をテーマ別に編み直した内容となっている。
私は「そんなに変わらんやろ」と半信半疑で、この白水社版を読み始めたわけだが、なんとこれがするすると読めてしまう。編み方でこんなに読み心地が変わってしまうのかと、正直驚いた。
この指摘は、白水社版『パンセ』にもあてはまる。
私たちは『パンセ』をひもとくことによって、パスカルの思索に触れることができる。だがそれは、パスカル単独の創作物に触れていることを意味しない。翻訳者や編集者、装幀家など、本作りには様々な人間が関わっている。
それだけではない。本作りに直接関わっていなくても、例えばパスカルであれば、彼が思索を重ねていく上で参照した先人たちの知の蓄積も、本の中には詰まっている。
そういう本である『パンセ』が、そんなに易々と読み解けるはずがない。消化不良になるぐらいが、ちょうどいいのかもしれない。
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