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土産話
お土産のことは気を遣わなくていいから、土産話を一つお願いします。
以前私は、こんなことを口にしていたらしい。
先日、石川旅行から帰ってきた友人と会った際、この話になった。
正直、言った覚えがない。覚えはないが、私がいいそうな言葉ではある。
一方、土産話もありがたいが、お土産も欲しいと素直に思う。
過去の発言の責任は、現在の私が引き受けなければならない。そう自分を戒めながら、友人の土産話に耳を傾けた。
*
土産話の中心には、一冊の本がある。森崎和江『能登早春紀行』(中公文庫)。本書を、友人は旅行先で購入した。
中公文庫、であるから、大抵の書店で手に入る。ご当地本というわけではない。ただ友人は、この本との「出会い方」にいたく感動したようだ。
「石川に来なかったら、この本を手に取ることはなかった。目にとまることもなかったと思う」
「我が家の本棚に、初めて紀行本が並んだ」
とのこと。私はこの話を聞きながら、幾度も「分かる、分かる」と相槌を打った。
大抵の書店で手に入るからといって、その本を実際に手に取るかは分からない。むしろ、どの書店でも手に入ってしまうからこそ、書店の風景の一部となって、その他の本の中に埋没してしまう可能性がある。
「私は今、石川にいる」という意識が、普段とは異なるアンテナを起動させて、友人を『能登早春紀行』と巡り合わせた。
*
こういうエピソードを聞いてしまうと、自分も『能登早春紀行』を読まないではいられなくなった。私自身、本書の刊行を知っていながら、「今はまだいいかな」と見送ったこともあったので、これを機に読むのがベストなのではないかなとも思う。
本稿の最後に、友人が『能登早春紀行』の中で、特に印象に残った文章を二箇所紹介してくれたので、共有しておきたい。
「冬の奥能登の旅は、あなたまかせのゆったりした気分でいるがいいと、バスの時刻表を見て思う。富来町から輪島市へ向かうには、外浦線で門前町まで行き、ここで乗りかえて、山越えで輪島に入る。門前まで一時間十五分、門前から輪島まで五十分である。が、連絡は都合がいいわけではないし、門前で最終のバスに間に合えばいいことにしようと私は思った。」
(森崎和江『能登早春紀行』中公文庫、P76)
「子どものよさは、自分が子どもであることを忘れている点にある。学校の門を出れば、心は大人にも天使にもなれた。とんぼにだって、なっていて、ぽかんと空を見て歩いた。足もとがすこし不安で、時折、ちらと下目を使う。それでも結構、とんぼだった。
私はもうすこし年をとれば、またとんぼになれるだろうか。年とった私が、とんぼになってゆらゆら歩く道が、まだ日本に残っているだろうか。」
(森崎和江『能登早春紀行』中公文庫、P116)
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