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【長野・小布施の旅】葛飾北斎はここに何を残したのか(後編)

大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」にちなんで、長野県小布施町で葛飾北斎の足取りを探す旅。前編では「北斎館」で北斎が老年期に残した作品から、彼の晩年の生き様に触れました。軌跡をたどる小布施の旅は続きます。

>>>前編はこちら

「岩松院」で唯一無二の画業に出会う

「北斎館」で晩年の作品、祭屋台や肉筆画に出会った筆者。しかし、北斎は小布施にもうひとつの大作を残していました。それが岩松院がんしょういんの「八方睨み鳳凰図」です。小布施の象徴にもなっていて、作品としてあまりにも有名。北斎は何を思って、こんなにも大きな作品を制作したのでしょうか。

小布施駅に降り立つと、鳳凰と目が合って肩をすくめました

岩松院は、雁田山かりたさんのふもとにある古刹で、葛飾北斎のほかにも、俳人の小林一茶や、戦国武将・福島正則などにゆかりがあります。

雪が降っている日の全景 (提供=岩松院)

筆者が旅をした日は、上の写真ほど雪は積もっていませんでしたが、岩松院近辺は、体感温度がまちの中心地より少し低い気がしました。春には雁田山が映えて美しい風景が楽しめるのですが、冬の時季は信州らしく、建物もじっと耐えているように見えます。

春の全景。ぜひこの時季に訪れたい (提供=岩松院)

総ひのき造りでどしっと構えた仁王門をくぐり、お参りをして本堂に入ります。1時間に2回、お寺の方による天井絵の解説があり、イスに腰かけて天井を見上げながら、お話を聞くことができます。

雪が降っている日の仁王門 (提供=岩松院)

嘉永1年(1848)、北斎は本堂の大間に巨大な天井絵を描き上げました。この時、北斎は89歳。90年の生涯でこれが最晩年の肉筆画と言われています。

約21畳の大間の天井一面というとてつもない大きさに、まず目を奪われました。板を12分割して彩色した後、釘を使わずに取り付けるという方法で仕上げていったそう。

絵具を何度も塗り重ねる「極彩色」という画法で描かれ、日本画でよく使われる岩絵具いわえのぐを使用。辰砂しんしゃ孔雀石くじゃくいし鶏冠石けいかんせきといった、中国より輸入した鉱石を顔料としています。作成に金箔は4400枚も用意されました。

八方睨み鳳凰図 (提供=岩松院)

色の修復は、制作されてから今まで一度もされていないとのこと。170年以上前とは思えないほど鮮やかで光沢感があります。絵皿の跡など制作時の痕跡がほんのり残っているところもまた臨場感があり、まるで江戸時代がつい先日かのように錯覚しそうです。

89歳が描いたとは思えないほど、力強くエネルギッシュ。北斎の絵にかける執念がこの鳳凰を生み出したのだと思うと、畏怖の念を抱きます。思わず手を合わせてしまいました。

解説を聞きながら見上げていると、圧倒されて動けなくなる感覚もありました。「八方睨み鳳凰図」とは、鳳凰の目がどこから見ても睨まれているような画法で描かれているので、そう呼ばれています。「お前をいつでも見ているぞ」と言われている気分です。

春の仁王門は、桜のトンネルが見事。北斎は信州の冬を嫌がり、春に小布施に来て秋に江戸へ帰るときもあったという(提供=岩松院)

この天井絵は、祭屋台とともに髙井鴻山こうざんの依頼でした。製作費は150両とのこと。当時の1両がおよそ現在の8万~20万円くらいですから、換算すると1200万~3000万円にもなります。

北斎の狂おしいほどの絵への熱量を受け止めて、それにこたえる髙井鴻山の心意気に、胸がすく思いがしました。

北斎の作品にすっかりあてられた筆者。北斎館の敷地内にあるカフェ「ガラリ café」へ戻り、しばしブレイクします。

「ガラリcafé」で地産食材を味わう

「ガラリ café」とは、前述の「岩松院」の敷地内にある「KUTEN。fruit&cake」がプロデュースするカフェ。オープンは2023年と、老舗の多い小布施の中でも比較的新しいお店です。

開放的なテラス席もある

看板商品のタルトがショーケースに並んでいます。小布施町から半径30km以内の食材にこだわっているそう。「生産者と消費者をつなぐ橋渡し」がガラリcaféのコンセプトで、トッピングのフルーツだけでなく、生地に使う小麦も長野県産。ここに来れば、小布施近隣エリアの地産の食材が味わえる、というわけです。長野県は北アルプスの山々に囲まれた土地に千曲川からの水源があり、農業に適した地域ですから、とても期待できます。

お昼を過ぎていたので、もうすでに一部の商品は売り切れ!

やはり小布施と言えば、小布施栗をチョイス。KUTEN。でも提供しているという、通年販売の「小布施栗のモンブランタルト」(650円)です。生地にもクリームにも栗が贅沢に使われています。

小布施栗のモンブランタルト。小布施栗オレ(奥)と一緒に味わいたい

生地に染み込ませた珈琲がほんのりと口に広がり、まるでティラミスのような仕上がり。小布施町にある「マルテ珈琲焙煎所」さんの珈琲を使用し、栗の渋皮煮が敷き詰められています。生地のどこを食べても栗が珈琲に負けじと現れるほど、小布施栗がふんだんに使われています。普通のモンブランだと思って食べると、栗と珈琲の最強タッグに少しびっくりするかもしれません。トッピングの栗には金箔がのっていて、はからずもお正月気分を味わえました。

ドリンクは人気の「小布施栗オレ」(700円)。「オブセ牛乳」と小布施栗のペーストを使用した、ここでしか味わえないドリンクがふんわりと体を暖めます。甘さはほんのり、こちらも栗の風味が際立っていました。栗の粒が入っているので、よく混ぜて飲むと栗の風味をより堪能できます。

店内の様子

「この店舗は本店とは違い、小さめのタルト(タルトレット)を提供しております。観光を楽しみながら気軽に長野県の味覚を味わえる手軽さが魅力です」とは、「KUTEN。fruit&cake」の高橋祐輝さん。確かにタルトレットは食べやすそうなサイズ!

手のひらサイズのタルトレットは色とりどりで、あれもこれもと欲張ってしまいました。小布施栗のモンブランタルト以外は、悩みに悩んで、4種類をテイクアウトでオーダー。

右上から、「ブルーベリーチーズタルト(季節限定)」(460円)、「レモンチーズタルト(通年)」(450円)、「ミックスナッツとコーヒーキャラメルタルト(通年)」(520円)、「季節のタルト(12月〜3月はイチゴ)」(550円)

タルトレットは持ち帰って食べましたが、小さいサイズなのに、どれも食べ応えがありました。ペロリと食べられるかと思いきや、主役となる食材のフィリングが際立っているので、一つでも満足感があります。もちろん全て小布施近隣の食材を使っているので、ご当地の味を持ち帰るという意味でも、お土産としてよさそう(日持ちは当日中)。2〜3月ごろは、「ベリーのショコラタルト 」や「アールグレイショコラタルト」が登場するそうです。

より日持ちがするカップケーキなどの焼き菓子も、手土産によさそう

小布施の魅力を高橋さんに聞いたところ、「小さくも魅力溢れる町」とのこと。「小布施町を訪れる人や長野県の地域の方々に、長野の本物の魅力をお届けする『生産者と消費者をつなぐ橋渡し』になる店舗を目指しております」と語ってくださいました。

確かに、1年を通して作るスイーツのラインナップに困らないほど、様々な食材が作られているなんて、ほかの地域では難しいこと。長野県は食材の宝庫なのだなぁと、改めて感じました。

ランチ時は、日替わりキッシュのセットが味わえるとのこと。ぜひ、今度はランチどきに来訪しよう…と決意しました。

「ガラリ」はカフェだけではなく、アートスペースがあるとのことで、カフェの2階にある「ガラリshowcase」も覗きました。地元在住のアーティストの作品や、葛飾北斎のオマージュ作品を展示・販売などしています。

「北斎のあの作品からインスピレーションを受けたのかな?」とわかるものもあれば、全く異なる観点からの作品もあります。人により作品の捉え方が違い、北斎の作品の世界が自由に広がっていました。北斎が今の時代に生きていたら、この状況を楽しんだのではないでしょうか。

「髙井鴻山記念館」で髙井鴻山を識る

小布施において葛飾北斎を知るには、小布施の豪商・髙井鴻山こうざんがキーマンとなります。ということで、「髙井鴻山記念館」に向かいました。北斎館周辺からだと、前編でも登場した「栗の小径」が近道です。

「栗の小径」から、東門にたどり着く
髙井鴻山記念館 正門。小布施では今でも「鴻山先生」と呼ばれ親われている

髙井家は穀物や塩を商う小布施の豪農商でした。髙井鴻山(1806~1883)は15歳からの16年間、京都や江戸に遊学し、各界の第一人者から学問や芸術を修めました。江戸に遊学した際に北斎と出会ったと言われています。鴻山は勤勉だったようで、たくさんの書物を収集していました。

「文庫蔵」。鴻山が集めたさまざまな分野の書物がここに収められていた

鴻山は家督を継ぎ小布施に戻ってからも学問思想に励みました。佐久間象山をはじめとする思想家とも交流を深めていき、また文人墨客を積極的に招くことで、小布施の地で文化を育んだと言われています。

今の小布施は美術館がたくさん存在し、クリエイターによるアートも盛ん。まちには自然がたくさんあり、どれも美しく保たれていました。北斎の祭屋台や、岩松院の鳳凰図などのほかにも、町内には文化財がたくさん残されています。こうしたまちの人に根付いている意識は、鴻山の功績なのかもしれないなと感じました。

中国の思想家・荘子の言葉にあやかって名付けたという、書斎兼サロンの「翛然楼(ゆうぜんろう)」
愛用の火鉢を挟んで、佐久間象山と国について論じていたと伝わる

天保13年(1842)には、水野忠邦により天保の改革が行われます。その政策で浮世絵にも規制がかけられました。美人画の禁止や色版の制限など、絵師にとってそれは厳しい取り締まりでした。

当時はそんな時代でしたから、北斎が髙井鴻山のもとを訪れた理由は、北斎の絵の理解者で、経済的な支援者にもなる鴻山を頼って身を寄せたのではないか、という見解が有力。北斎83歳、鴻山37歳の時でした。

今も鴻山がいるかのように、当時のまま保存されている
北斎と鴻山は親子ほどの歳が離れていながら、「先生」「旦那様」と呼び合うほどの仲だった
高井鴻山「山水画」

髙井鴻山は豪農商でありながら、自身もまた絵師でした。鴻山が描いた数多くの作品が記念館に残されていて、これほどの絵を描いていたのかと驚きます。北斎館で見た「怒濤図」の縁絵は、北斎が江戸にいながら下絵を送り、小布施で髙井鴻山が着彩していたとのことですから、画狂人・北斎も、鴻山を絵師として認めていたのだと思います。

髙井鴻山「妖怪図」(複製)
こうした作品が壁に掛けられていると、まるでそこに住んでいるかのよう

また、鴻山が晩年、没頭して描いた妖怪画も飾られていました。若い頃から北斎のような各界の第一人者に影響を受けながら絵を描き続けてきた鴻山は、花鳥画や人物画、山水画を吸収した集大成として、それらを昇華させた独特の妖怪画の世界を生み出しました。

なぜ妖怪だったのでしょうか。それは、残された漢詩などから「自分の思いや、志半ばで亡くなった者たちの思いが鴻山の中で交錯し、そこに宗教的な有霊感などが加わり、"万物の塊"を描こうとしたのではないか」と推測されています。

北斎は晩年、自分が描いてきたものの集大成かのように、祭屋台という立体的な造形物や、巨大な八方睨み鳳凰図を手掛けました。それと同じように鴻山もまた、絵師としての今までや思いを、妖怪画にぶつけていたのかもしれません。

「翛然楼」の二階奥の間から、ありし日の小布施を眺める。奥に見えるのは雁田山

鴻山は飢饉から窮民を救ったり、晩年には私塾を開いて教育活動に専念しました。一生を通して、国や人のために私財を惜しみなく使う人でした。そんな人だからこそ、北斎は鴻山を信頼し、鴻山はその気持ちにこたえるかのように、北斎にアトリエまでを用意して創作活動を支援したのでしょう。

そんな背景を思うと、北斎晩年のあれらの作品は、鴻山がいなければなし得なかったもので、鴻山が残したものも北斎がいなければ違った結果になっていたと思います。

彼らが実際にここに確かにいたであろう当時の息遣いを、記念館から読み取ることができました。

葛飾北斎の一生

北斎は、一生の間に90回以上の引っ越しをしたと言われていますが、その理由は一説に、衣食住に興味がなかったからでは、と言われているそう。お金にも無頓着で、生活もままならないほど家は散らかり放題。どうにもならなくなったら引っ越す、を繰り返していたという話も残っているようです。

画号は生涯で30回も変えていますから、北斎にとっては引っ越しも同様に、絵に向き合い続ける画狂人の一種の「気分転換」のようなものだったのかも、なんて筆者は予想しました。

また北斎は、75歳の時に版本『富嶽百景』で、画狂老人まんじの画号で跋文ばつぶん(あとがき)を書いていました。

6歳から物の形を写し始め、50歳の頃から画工として評価されるようになったが、70歳までに描いたのは取るに足らぬものだった。73歳でようやく生き物の骨格、草木の成り立ちを悟ることができた。80歳になればますます上達し、90歳になれば一層その奥義を極め、100歳ではまさに神妙の域に達するだろう。百何十歳になれば絵の一つ一つが生きているかのようになるだろう。

飯島虚心「葛飾北斎伝」 現代語訳

なんということでしょう。北斎に「70歳までに描いたものは取るに足らない」なんて、今も昔も、誰が言えるでしょうか。しかし、その後はさらに大きな作品に取り組んで、より一心不乱に画業を極めていったのは、前述のとおりです。

髙井鴻山は小布施に文化を残そうとしていましたから、これほどまでに絵と向き合う北斎になら、小布施の後世に残す絵を託せると思ったのかもしれません。そして北斎は、情熱を思うがままぶつけられる場所として、小布施という土地を選んだ、ということではないだろうか……。そんなことを思いながら、北斎をたどる旅は終わりました。

死ぬ間際まで情熱を燃やし続けた一人の絵師の思いに触れ、筆者も気持ちが引き締まるような思いがしました。葛飾北斎の世界は、晩年を過ごした小布施に詰まっています。ぜひ訪れて、彼が残したものを感じてみてはいかがでしょうか。

写真・文=濱口真由美

岩松院
[住所] 長野県上高井郡小布施町大字雁田615
[電話]026-247-5504 
[拝観時間]9時~16時30分、11月は~16時、12月~3月は9時30分~15時30分
[休日]年中行事・法事の日 
※詳しくはHPのカレンダーをご確認ください
[拝観料]一般 500円/小・中学生 200円/未就学児 無料
※身体障害者手帳・精神障害者保健福祉手帳・療育手帳をご提示で、ご本人と付き添いの方は1名ずつ半額で拝観できます
[アクセス]長野電鉄 小布施駅より徒歩30分、車で10分、周遊バス(4月~11月運行)で25分
[公式HP] http://www.gansho-in.or.jp/

ガラリ café
[住所]長野県上高井郡小布施町大字小布施485(北斎館 敷地内)
[電話]026-477-2466 
[開館時間]冬季10時〜15時(12〜2月)、通常10時〜17時
[定休日]水曜
[アクセス]長野電鉄 小布施駅より徒歩12分
[公式HP]https://garari.hokusai-kan.com/pages/cafe

髙井鴻山記念館
[住所]長野県上高井郡小布施町大字小布施805-1
[電話] 026-247-4049
[開館時間]午前9時~17時(最終入館16時30分)
[休館日] 12月29日~1月3日 ※展示替え期間に休館の場合あり
[入館料]一般 300円/高校生 150円/小中学生 無料
※特別展開催等、料金が変わることがあります。
※障がい者手帳、療育手帳等をお持ちの方は半額になります。
[アクセス]長野電鉄 小布施駅より徒歩10分
[公式HP]https://www.town.obuse.nagano.jp/site/takaikouzan/

参考文献
小布施観光案内帖
高井鴻山記念館パンフレット
「視覚の魔術師 北斎」(小学館)
「ようこそ北斎の世界へ 英訳付」(東京美術)

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