“あめ” 雨は何を語りかけてきたか|中西進『日本人の忘れもの』
天が雨を采配した
むかしは子どもの数が多かった。私でいえば、男ふたり、女ふたりの四人きょうだいである。
私はその長男。したがって次男の弟がいる。
そうしたばあい、むかしはよく兄の着物を弟が着、姉のものを妹が着せられた。子どもなど、どんどん成長するから衣服はすぐに着られなくなる。もったいないから、母親は下の子にそれを使わせる。
それがいわゆる「お下り」である。けっきょくは古着だから、弟や妹はブーブー不満を言うことになる。長男の私は、さいわいなことにこの災厄をまぬがれたからよかったが、弟など、迷惑な話だっただろう。
しかし、じつはお下りということばは、古着を意味することばではなかった。神さまが人間に下さるもの、という意味だった。もともとは天から下ってきたものを、お下りといったのである。たとえ兄や姉の古着であっても、それは問題にしない。とにかく頂きものなのだから、神さまが下さったものとして感謝すべき衣服が、「お下り」だったのである。
さて、そこで、むかしから「お下り」といってきたものが、ほかにある。正月に降る雨のことだ。
正月はだれでも、いい天気であってほしいと思う。だから雨が降ると、あいにくの雨として、とかく嫌がられる。
しかし嫌がってはいけない。
これこそ、神さまが年の初めに、天からの授けものとして地上にくだし、農作物に豊かなみのりをあたえる慈雨であった。天上の神さまの世界から下ってきた、人間をよろこばせるお下りの品物であったのである。
今どき、正月の雨が「お下り」だと、何人の人が知っているだろう。しかし新年早々から、こうして神さまに感謝をささげることは、生活を豊かにするにちがいない。
もう一つ、現代人がたぶん意味を忘れてしまっただろうと思われるものに、「さみだれ」がある。いまは梅雨という雨のことだ。
要するに六月のころ、じとじとと毎日降りつづく雨がさみだれである。
日本には雨季が二回あって、こちらは夏の雨季。秋の長雨のほうは、中国語そのままに秋霖などという。
そこで、このさみだれだが、なぜ夏の長雨をさみだれというのか、現代人は深く考えずに、このことばを使っているのではないか。
つゆというのは、しめっぽい季節だからそういうのだし、梅雨と書くのは、このころ梅の実がみのる。梅のみのるころの雨だから梅雨と書く。
だからこちらの方はわかりやすいが、さみだれとは何か。
以前、古典について検討してみた。
するとおもしろいことに、むかしの人は、この雨に降りこめられると、何か気持ちが変になってくるのである。
さては、さみだれとは、「さ乱れ」だなと思った。人間、この雨に降りこめられ、何日も何日もくらしていると、心を乱されてしまって、おかしくなるらしい。
しかも「さ」というのは尊いもの、怖いものなどにつけることばだから、心をおかしくしてしまうのは、天の神さまらしい。
天の神さまはお下りもくださる一方、人間の心も乱してしまうことになる。
じつは『源氏物語』の中に、有名な「雨夜の品定め」とよばれる一節がある。若い光源氏も加わって若者たちが、あれこれと女性の話をするくだりである。光源氏はもっぱら聞き役。先輩たちの女性評をとおして光源氏が成長していく。
ところがこの設定は、日々つづくさみだれのころになっている。つまり男の心をかき乱して女を恋しくさせるのが、さみだれなのである。
この時代、恋愛は、ふとした物の紛れからおこると考えられた。紛れとは、理性や知恵が及ばない状態をいうのかもしれない。
それほどに心の平常を乱し、判断を紛らわしくしてしまうのも、さみだれのしわざだったのである。
処刑されたことで有名な近代中国の詩人、秋瑾(1875-1907)に「秋風秋雨、人ヲ愁殺ス」というものがある。さっきふれた秋の長雨は人を憂愁にとじ込め、殺してしまうという。同じ長雨として、さみだれが人を憂鬱にしたり心を錯乱させたりしても、当然であろう。
お下りにしろ、さみだれにしろ、雨は、こうした天の采配の中にあった。それなりに人間は雨に対応しなければならないのに、昨今は、お正月の雨を残念がったり、梅雨明けばかり待ちのぞんでいたりするのは、大事なものを忘れた結果ではないか。
春雨に包まれる日本人
お正月や六月の雨に対して、春には春で独特の雨が降る。もうろうとした雨である。
大学生時代、私は金田一春彦先生の講義を受けた。「方言概説」という科目だったと記憶しているが、その時、先生は春雨について、こう言われた。
──春雨というのは下から降る雨です。
要するに「降る」などという感じを持たせるような雨は、すでに春雨ではない。もうろうと全体を包みこんで、ぼおーっと煙るような雨でなければならないのである。
そこで先生は「東京には春雨は降りません」と断言された。「東京の雨はつよくて春雨にはなりません。春雨が降るのは京都です」。
なにしろ「方言概説」の時間だからわかっていただけると思うが、それほどに地方地方には違いがあり、雨もことばも違うという次第である。
ただ、東京に生まれ、ほとんどを東京ですごした私には、その時実感がなかった。やっとわかったのは、後年、所用で一週間京都に滞在した時だった。
私はある夜、あっとおどろいた。たしかに細かい細かい水分がすっぽりと全身をおおっていた。「春雨!」と叫び、金田一先生のお顔をなつかしく思い出していた。
関東と関西では風景も違う。関東の山は三角だが、関西の山は丸い。むかし関西本線に「大和」という夜行急行があって、目がさめると伊賀あたりを走っている。車窓に見える山やまの、何と日本画そっくりなことか。
雨もまた同じであろう。古来日本人が春雨とよんで眺めてきたものは、こうして全身にまといつく、下から湧き上がってくるということもできる、柔和な雨のことだったのである。
だからこそ、月形半平太は「月さま、雨が……」といわれた時に、「春雨じゃ、濡れていこう」ということになる。
日本人は、春ともなると、こうして体を包んでくる雨を甘受し、その潤いの中に芽吹いてくる自然の命を愛した。
反対に冬は雨が極端にすくない。肌がカサカサになる人も多いだろう。その悩みも春雨は解決してくれる(「春雨」という美肌クリームがあってもいい)。
そもそもが日本は温暖多湿な国である。爽やかな海外から帰ってきて、日本の空港に降り立った時の、あのムワーッと押しよせてくる湿気は、何ともやりきれない。「あーあ、日本に帰ってきてしまった」と申し訳ないことをつぶやくこともある。
しかしそれも贅沢な話で、この湿気がなければ日本が日本にならない。春雨が日本全体を包み、国が煙霞の中にかすんでいなければ、万物の命の誕生はない。
逆にいえば、風土がつちかう日本の心を大切にすることが、いちばん有効な生き方である。
春雨には包まれていなければならない。
十七世紀の関西に、上田秋成という作家がいた。多少偏屈で、「おれは横ばいのカニのようなものだ」とひがんで言ったが、その秋成は傑作の『雨月物語』や『春雨物語』を書いた。雨が好きな小説家だった。
しかし雨月など、矛盾があってどこか妖しくて、凄みがある。いかにも怪談集の書名にふさわしい。
そして一方、春雨も秋成にとっては興味があったらしい。この作品集を、秋成はいっぺん反故として捨てたものだと言ってみせる。しかしそれを取り戻す。折しも春雨はしとしととあたりを包んでいる。
春雨のもうろうさが現実と幻想、現在と過去をいっきょに、ごちゃまぜにしてしまう役割をもっている。
建前が大きらいだった秋成。人間味豊かに生きた秋成。そんなスネ者が春雨に包まれていたかったとは、日本人の一つの典型のように思える。
しぐれのもつ記号を考えよう
日本の雨には、もう一つ大事なしぐれがある。
しぐれは時雨と書く。そもそも「しぐれ」とは固まることで、降りつづくのではなく、時として固まって降り、また止んでまた降る雨だから、しぐれといった。
むかし、村雨ということばもあった。群がって降る雨だから、しぐれと同じである。
さて、しぐれは何時降るのか。秋か、冬か。むかし辞書で調べたら、晩秋から初冬にかけて降る、とあった。名答! と思った。
古い和歌などでは、しぐれが降るともみじするとか、落葉するとかと歌われた。草木の葉は、しぐれと争って、負けて紅葉したり落葉したりすると歌われている。
要するにしぐれが葉々を殺すのである。秋の紅葉は、しぐれによって死んでいく。死の季節は冬。
こうなればしぐれの季節は秋でもあり冬でもある。辞書が「秋から冬にかけて」というのは、このしぐれの働きを正確に表現したものだった。
いや、これが正確な解説であるほどに、しぐれが自然の死と、密接に結びつけて考えられていたことの方が大事だろう。
春に萌え出た大自然の命を冬ごもらせる雨がしぐれだった。八世紀のころの和歌に、こんな一首がある。
春は萌え 夏は緑に 紅の まだらに見ゆる 秋の山かも
春は命が燃え出る季節。夏は命が若々しい季節(みどりとは若々しいことをいう)。秋は命が活発で、さまざまに人間が活躍する季節。そして冬がないのは死の季節だからである。冬の山は、山が眠ると表現されることもある。
そこでこの季節の巡りゆきの中で、しぐれは山の命に眠りを与えるものと見られていた。
しぐれの記号は死であった。ふたたび『源氏物語』を見ると、光源氏がゆきずりに愛した女性、夕顔が死んだ季節は、しぐれのころとなっている。
野辺おくりをした後のある日、その日は立冬であって、その証拠のように空がしぐれていたという。
光源氏が琴をもってこさせて、それを弾くのは、むかしから琴が死者の魂をよび寄せるためのものだったからである。
現代人に聞いても、しぐれが死の記号をもっているとは、だれも答えてくれない。いやむしろ、そんな不吉な記号は知りたくもない、というだろうか。
しかしこの記号は、自然の中に人間の命も包括されているのだという前提から出発している。
美しい紅葉もやがて落葉として生涯をおえる。それと同じく人間もしぐれの中で命を自然に戻す。
その構造は、かえって逆に日本人が、たしかな生命観をもって日本列島の上に降る雨に向きあってきた歴史を、もの語るのではないか。
お下りにしろさみだれにしろ、また春雨にしろしぐれにしろ、雨を心へのうながしとしてとらえることが、日本人の英知だったと思われる。
文=中西 進
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