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『方丈記』はなぜ現代に通じる最高の人生哲学なのか?

文・城島明彦(作家)

超約版 方丈記/新書_HI

超約版 方丈記(ウェッジ刊)

コロナ禍で注目!
世界初の災害文学

 いつ終息するのか予測がつかないコロナ禍で、〝世界初の災害文学〟である鴨長明の『方丈記』に大きな注目が集まっています。

 鴨長明は、鎌倉時代初期に成立した『新古今和歌集』に10首も入っている著名な歌人で、琵琶や琴の名手でもあり、家の設計もできる多芸な才人でしたが、人づきあいが大の苦手。50歳のときに出家して世間に背を向け、山中に「方丈庵」と呼ぶ狭い庵をつくって隠棲し、気ままに生きた自由人です。

②鴨長明

鴨長明(1155年~1216年)。現在、放送中の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」とほぼ同時期を生きた歌人・随筆家である(菊池容斎画)

 そんな長明が最晩年に書いた随筆が『方丈記』で、「ゆく河のながれは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」という冒頭の文章は有名です。

 日本文学は、ノーベル文学賞こそ2人(川端康成、大江健三郎)に過ぎませんが、世界に誇る古典がいくつもあり、『竹取物語』(作者不詳)は〝世界初のSF小説〟、紫式部の『源氏物語』は〝世界初の長編小説〟です。

 鴨長明の『方丈記』も、清少納言の『枕草子』、吉田兼好の『徒然草』と並ぶ「日本の三大随筆」として高く評価されてきましたが、東日本大震災の翌年の2012(平成24)年以降、〝世界最古の災害文学〟という新たな評価が加わりました。

 その年が『方丈記』完成から800年という記念すべき年だったこともあり、鴨長明にゆかりの地ではさまざまな催しが実施されました。鴨家が代々禰宜ねぎを務めた京都の下鴨神社の摂社せっしゃである河合社ただすのやしろでは、境内に長明の終の棲家となった「方丈のいおり」を再建したり、何社もの出版社が競うように文庫版の『方丈記』現代語訳を発売するなどしました。

①鴨川

鴨川デルタ。賀茂川と高野川との合流地点であるこの場所には下鴨神社が鎮座する(京都市左京区)

④河合社

現在の河合神社。下鴨神社の摂末社で、境内の糺の森の中にある「瀬見の小川」の西側にある(京都市左京区)

 そのとき人々を驚かせたのは、同書に記された「平安京を襲った推定マグニチュード7.4の大震災」の生々しい記録が東日本大震災とオーバーラップする点でした。

 その一部を紹介しましょう。

「山は崩れて川を埋め、海は激しく水嵩を増して逆巻き、陸地を浸した。大地は裂けて水を噴き出し、岩は割れて谷へと転がり落ちた。浜辺近くの海を行く船はのように波間なみまに漂い、道を行く馬という馬は足の踏み場を失って、いなないた。都の神社仏閣は、あるものは崩れ、あるものは倒れ、無傷だったものはなかった。」(拙訳『超約版 方丈記』より)

 元暦げんりゃく2(1185)年に発生したこの大地震は、東日本大震災のM9.0よりは小さいものの、阪神・淡路大震災のM7.2よりも大きく、当時の平安京の人口10万人のうち4万2千人超もの人命が失われました。

『方丈記』には、鴨長明が23歳から31歳までの8年間に体験した「5つの厄災」が詳細に描かれています。5つの厄災とは、この大震災をはじめ、大火、竜巻〈辻風つじかぜ〉、飢饉の4つの「天災」のほか、突然の福原遷都によって生じた大混乱を「人災」とみなすなど、鋭い見方が異彩を放っています。

「一寸先は闇」の今の時代を生きる叡智

 今は、どんな時代でしょうか。「不確実性の時代」という言葉が流行ったのは、アメリカの経済学者ガルブレイズの同名の書がベストセラーになった1978(昭和50)年のことでしたが、その後の時代は「不確実性」どころか、「不透明性」をも超えていたのではないでしょうか。

 なぜなら、1995(平成7)年1月に起きた阪神・淡路大震災や2011(平成23)年3月の東日本大震災にしても、2019(令和2)年12月に中国の武漢市で始まったとされるコロナ禍にしても、「予測不能」としか思えないからです。

 そんな時代に突発したロシアのウクライナ侵攻事件では、人々は「歴史は繰り返す」という言葉を思い浮かべ、人類の歴史が「戦争の歴史」であり、「伝染病など恐ろしい病魔との戦いの歴史」であり、「天災との戦いの歴史」でもあることを改めて認識したのではないでしょうか。

 そうしたことは、今の時代に限ったことではありません。鴨長明が生きた時代の人々も、同じようなことを考えたのです。

 鴨長明は、下鴨神社の神職の家に生まれ、若い頃から和歌や琵琶の演奏などが得意だったことから、禰宜の仕事には熱心ではありませんでした。父は、河合社と呼ばれている下鴨神社の摂社の禰宜からスタートして本社(下鴨神社)の最高位まで上り詰めた実力者で、長明の庇護者でしたが、若くして死去。そこから長明の人生の歯車が狂い始め、禰宜の主要ポストは一族の者に奪われ、河合社の禰宜に空席が生じたときも邪魔されて実現しませんでした。

 出家するのは、その事件がきっかけです。そのとき長明は新古今和歌集の撰者として熱心に仕事に取り組んでいたので、同情した後鳥羽院ごとばいんが別の神社の禰宜のポストを特別に用意しますが、長明はそれを拒否し、周囲の者に「狂気の沙汰」といわれても意に介さず、けじめとして撰者を辞して頭を丸めて出家し、隠遁者として生きる道を選んだのです。

 出家して山の奥深くに庵を結んで移り住んだと聞くと、ひたすら読経したり、滝に打たれたりするような厳しい修験道しゅげんどうに励む山伏やまぶしのような姿を連想する人もいるかもしれませんが、長明はそうではなく、隠棲しながら、ときには都へ出ていったり、つくった和歌を都の友人に送ったりし、気分が乗らないときは読経をさぼって、琵琶や琴を弾いて気分転換した俗っぽさを残していた点も、われわれ現代人の共感を呼びます。

長明はリモートワークやYouTuberの先駆けだった

 鴨長明には〝時代の申し子〟と呼べるような一面もあります。貴族政治から武家政治へと移行する時代の転換点となった「保元の乱」の前年(1155〈久寿2〉年)に誕生し、38歳のときには頼朝が鎌倉幕府を樹立しますが、頼朝病死を受けて第2代将軍となった嫡男頼家よりいえは長明が50歳のときに暗殺。第3代将軍となった頼朝の次男実朝さねともも長明の死から3年後に暗殺され、実権は頼朝の妻政子の実家である北条氏の手に移るのです。

 長明は1216(建保4)年に62歳で没していますが、数々の先駆者としての顔もありました。まず第一に、綿密な取材に基づく生々しい描写をした〝ノンフィクションライターの先駆者〟であり、前述したように出色の〝災害文学の先駆者〟として脚光を浴びることになりますが、それ以外に次のようなマルチな生き方もしたことも見逃せません。

 鴨長明が山中に結んだ住居「方丈の庵」は、5畳から6畳くらいの広さしかなく、身の回りに余計なものは置かない生活は、まさに〝断捨離だんしゃりの先駆者〟であり、山奥に隠棲しても都へ和歌を送ることは継続したので、いってみれば、一種の〝リモートワークの先駆者〟であり、人里離れた庵でひそかに執筆した『方丈記』を発表して一躍有名人になったところなどは〝YouTuberの先駆け〟と呼べなくもないからです。

③方丈庵

日野山にあった方丈の庵を復元したもの。中央に囲炉裏が切られ、机の上の法華経が置かれ、鴨長明の隠棲の様子がわかるようになっている(京都市左京区・河合神社内)

 代表作となった『方丈記』を書くきっかけは、親友の藤原雅経まさつねに誘われて鎌倉へ下向、〝歌人将軍〟として知られる源実朝と数回にわたって面談したことです。長明は創作意欲を刺激されたようで、帰京後、歌学書『無名抄むみょうしょう』、仏教説話集『発心集ほっしんしゅう』と並行して随筆『方丈記』に着手しています。藤原雅経は、蹴鞠で有名な飛鳥井あすかい家の祖で、長明の才能を見抜いて『新古今和歌集』に入れる歌を推挙するなど、いろいろバックアップしました。この人がいなかったら、『方丈記』は誕生しなかったでしょう。

⑤鴨長明

『十訓抄』には鴨長明の出家にまつわる話が紹介されている(西川祐信画、『絵本倭比事 9巻付巻1巻 [2]』国立国会図書館蔵)

 今の地球に生きる私たちは、地震、暴風、竜巻、豪雨、洪水、豪雪、山火事、土石流などの天変地異におびえながら暮らしていますが、そうした生き方は『方丈記』に描かれた内容と酷似しており、時代が変わっても人の悩みや苦しみは変わらないことがわかります。

『方丈記』を長編と思っている人が多いようですが、『無名抄』『発心集』が長編なのに対し、『方丈記』は短編という点が異なります。400字詰め原稿用紙にすると20数枚程度しかないので、この際、全編を通読してみることをお薦めします。

▼城島明彦さんご自身が語る動画をこちらでご覧いただけます!

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<本書の目次>
第一章 天災と人災
第二章 方丈の庵に住む
第三章 いかに生きるべきか
「方丈記」原文(訳者校訂)
解説

原作者:鴨長明(かものちょうめい)
平安時代末期から鎌倉時代にかけての日本の歌人・随筆家。建暦2(1212)年に成立した『方丈記』は和漢混淆文による文芸の祖、日本の三大随筆の一つとして名高い。下鴨神社の正禰宜の子として生まれるが、出家して京都郊外の日野に閑居し、『方丈記』を執筆。著作に『無名抄』『発心集』などがある。

訳者:城島明彦(じょうじま あきひこ)
昭和21年三重県生まれ。早稲田大学政経学部卒業。 東宝を経てソニー勤務時に「けさらんぱさらん」でオール讀物新人賞を受賞し、作家となる。『ソニー燃ゆ』『ソニーを踏み台にした男たち』などのノンフィクションから 『恐怖がたり42夜』『横濱幻想奇譚』などの小説、歴史上の人物検証『裏・義経本』や 『現代語で読む野菊の墓』『「世界の大富豪」成功の法則』 『広報がダメだから社長が謝罪会見をする!』など著書多数。「いつか読んでみたかった日本の名著」の現代語訳に、『五輪書』(宮本武蔵・著)、『吉田松陰「留魂録」』、『養生訓』(貝原益軒・著) 、『石田梅岩「都鄙問答」』、『葉隠』(いずれも致知出版社)がある。

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