ユタ生まれ~石垣島、奇縁の旅~|黛まどか(俳人)
昨年の春、母に甲状腺癌が見つかった。リンパ節に転移があったが、高齢の上重い持病が幾つもあるため、標準治療は一切できないと言われた。幸い進行が遅い癌だ。保険適応外治療も含めてできることをリストアップすると、その一つに旅が上がった。こんぴら参り、紅葉の京都、出羽三山詣…母には行きたい場所がたくさんあった。それらを一つ一つ巡る日々が始まった。高揚感も手伝ってか旅先ではよく歩きよく食べる。旅をするごとに母に活力が出てきた。
癌には冷えが良くないため、医師と相談して冬の間避寒地で転地療養することになった。さて、どこへ行こうか…療養先に思いを巡らせていたある日のこと。「石垣島でね…」、髪をカットしてもらっていると、美容師が突然切り出した。石垣島が好きで年に何度も通うのだと言う。帰途の車中、石垣島の話で盛り上がるカップルと隣の席になった。これは石垣島へ行けということに違いない。帰宅するとすぐにエアチケットと一か月分の宿泊の予約をした。仕事と母の介護を抱えての滞在だが、自然の中に身を置き少しリラックスしよう。星空やサンセットも楽しみだ。以前から読みたいと思っていた本一冊を持って寒中の関東を出立した。
到着した日の石垣島の気温は25℃。母は杖をつきながら渚を歩いたり、貝殻を拾ったり、南国の暖かさと開放感を満喫していた。ところが翌朝、私は激しい頭痛と吐き気で目が覚めた。その後もひどい頭痛は続き、喘息も出はじめた。
ひとまずマッサージに行くと、「首と肩がガチガチですね。呼吸も浅いと思うのでヨガをされるといいですよ」と整体師。「K先生という素晴らしい方が市内の公共施設で教室をお持ちです」。読みはじめた本はインドの聖者ラマナ・マハルシ*の言葉を記したものだ。ヨガを紹介されたことに奇縁を感じ、私はさっそく教室を訪ねた。
教室は土産物店が並ぶモールの中にあった。「観光客なんですが、参加していいですか?」突然訪ねてきた私と母を、K先生は快く受け入れてくださった。深い呼吸をしながら約2時間、固くなった身体を伸ばす。レッスンの後、私は母の闘病や自身の不調のこと、マッサージ中にK先生を紹介されたことなどを話した。そしてラマナ・マハルシの話をすると先生は目を瞠った。「マハルシは私が最も尊敬する人です!」。また、K先生も私と同様四国遍路を通しで歩いて巡拝していたことがわかった。なんと奇遇だろう。最後にK先生が言った。「お母さまの癌のお蔭でこの出会いがあったのですね」。その通りだ。母が癌にならなければ石垣島に来ることはなかった。さらに身体の不調のお蔭でもある。奇縁によって私はここに導かれるようにやってきたのだ。こうして私の真の石垣島との出会いは、海辺でも森でも星空の下でもなく、繁華街に始まった。それは長年なおざりにしてきた自分の身体に向き合う旅の始まりでもあった。その後も頭痛と不思議な出会いは続いたが、その度に私は原点に戻るようにK先生のヨガ教室を訪ねた。
小浜島へ渡る前夜、夢を見た。カーテンを開けると満天の星が広がっていて、寝ている母を起こすという夢だった。実は冬の沖縄特有の天候で、石垣島に来てからすっきりと晴れた日がなく、星を見ていなかった。果たして小浜島の2日目にそれは現実となった。「ママ、起きて!満天の星よ!」。テラスに出た母の真っ向にカノープスが赤々と輝いている。本州ではなかなか見ることが出来ない星で、シリウスに次いで2番目に明るい恒星だ。別名寿老人星。この星を見ると寿命が延びるとされる。母が呟いた。「きっと来年も来られるわね……」。
石垣島へ戻ると、本島から旧い句友が訪ねてきた。「もしかしたら、ユタ生まれかも」と友人。沖縄では生まれつき霊感のある人をそう呼ぶらしい。私がひどく体調を崩したのは、島で何かを感受したのかもしれないと言うのだ。いかにも沖縄らしい話ではないか。
さて、次は何が起きるだろう。相変わらず不調を抱えながら、次なる出会いに期待する石垣島滞在である。
文=黛まどか
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