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「ひととき」の特集紹介

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旅の月刊誌「ひととき」の特集の一部をお読みいただけます。
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#ご当地グルメ

なぜ、名古屋の人は喫茶店とあんこが好きなのか|〔特集〕名古屋──あんこの王国

名古屋人が喫茶店とあんこを愛するわけ 名古屋が誇るあんこを語る時、忘れてはならないのは「喫茶店のあんこ」である。  コーヒー1杯にパン、ゆで卵などさまざまなサービスがつく「モーニング」。一宮市発祥ともいわれ、今では名古屋の喫茶店の名物となったこのサービスにも、あんこものが提供されることがよくある。  なぜ、名古屋の人は喫茶店とあんこが好きなのか。  かつて尾張地方には、農作業の休憩時にあぜ道で抹茶を点てて楽しむ「野良茶」の習慣があった。昭和期、地元の繊維業は「ガチャマン

尾張徳川家と和菓子の文化|〔特集〕名古屋──あんこの王国

 江戸時代、尾張徳川家の繁栄のもと、名古屋では茶の湯文化、そして和菓子文化が育まれました。毎秋恒例の「徳川茶会」は、その歴史を物語る行事です。  名古屋の和菓子の文化は、長くこの地を治めた尾張徳川家と深くつながってきた。それを物語るのが、1935(昭和10)年に開館した、尾張徳川家伝来の大名道具を収蔵・公開する徳川美術館だ。  学芸員の加藤祥平さんによると、江戸時代、名古屋では、織部流や一尾流・有楽流などの武家流、京都から入った千家流といったさまざまな流儀のお茶が盛んだっ

四季折々の味わいが楽しめる老舗「川口屋」の魅力|〔特集〕名古屋──あんこの王国

 畑さんが初めて名古屋のあんこと出合ったのは、中区錦3丁目、名古屋の繁華街にある「川口屋」だった。創業は、元禄年間。かの「忠臣蔵」の討ち入りがあった時代である。老舗らしい風情ののれんをくぐって、店内に入ると、陳列棚には優しい色合いの季節の上生菓子が並ぶ。 「川口屋さんは、椿餅が有名ですが、春なら桜のお菓子一点だけでなく、咲き始めから満開、水面に浮かぶ花まで、時期によって変化する桜を違う形のお菓子にする。季節の表現が豊かで芸術的です。こんなにあんこの種類があることにも驚きまし

【どぜう飯田屋】伝えたい老舗の小鍋|浅草鍋めぐり

 池波正太郎さんは隅田川の畔、待乳山のある聖天町*で生まれ、浅草、上野で育った。著作には鍋も登場する。記念文庫がかっぱ橋道具街の北端にあり、観覧してから鍋めぐりといけば興趣が深まるというもの。池波さんは「江戸風味の酒の肴」*というエッセーに「……江戸湾には隅田川や神田川がながれ込んでおり、その川水と海水とが混じり合った特殊な水質に育まれた魚介は、独自の味わいをもっていたのである。……貝類は、葱をつかって鍋にもする」と書いている。 「ともかくも、さっぱりと手早く調理をして出す

浅草のすき焼き文化を牽引する名店「ちんや」へ|浅草鍋めぐり

 食いしん坊の父は、外食で覚えた味を家で蘊蓄を傾けながら家族に食べさせるのが好きだった。鍋もよくやり、すき焼きともなると、肉やねぎはあの店で買えと指令を発し、大晦日も正月もすき焼きを囲んだ。食を通じての団欒にはひとつ鍋を囲む鍋ものがいいが、とくにすき焼きはおすすめ。肉を入れるや、座は静まり、誰もが鍋を見つめ、このとき心はひとつになる。肉、脂、ねぎの風味が醤油と砂糖にくるまれて放つ香りに、人は誰も抗えない。わたしがすき焼きこそ日本の最高のごちそうだと思い、“すきや連”を主宰する

【洞川温泉】かくも良き、レトロ温泉郷|奈良、ととのうお湯めぐり

湯の語源は斎であると言われている。斎は神聖であること、清浄であること、という意味を持つ。湯は身体を清潔にすると同時に罪、穢れを洗い清めるためのものであり、宗教性を帯び、古くから信仰と結びついている。奈良にも信仰と深く結びついた温泉がある。世界遺産に登録された地域にある吉野郡天川村の洞川温泉である。  天川村は奈良県中央部のやや南に位置し、洞川地区はその東の端にある。標高約820メートルの高地で村の東に大峯山系が連なる。山上ヶ岳や弥山は霊山として信仰の対象とされており、古くか

【宮島】神住まう、島の祈り|歴史が生んだ佳景(前編)

神の島の祈りの歴史 「安芸の宮島」とも呼ばれる厳島は、古名を「いつきしま」という。「神を斎き祀る島」ということだ。  島そのものがご神体である。常緑の深い森に覆われた山々が峻厳にそそり立つこの島の姿を、古代、船で行き交う海の民は畏れ崇めた。神域を侵すなど思いもよらず、瀬戸を隔てた対岸から遥拝、あるいはわずかに岸辺に上がって祈りを捧げた。  島には地元のひとびとにそのように祀られた、たくさんの神がいた。なかでもよく知られる嚴島神社は、縁起によれば593(推古天皇元)年に創

【小田垣商店】黒豆一筋、300年の老舗(丹波篠山市)

 丹波篠山市には、老舗の黒豆専門店がある。1734(享保19)年、鋳物師の小田垣六左衛門が金物商として始めた小田垣商店は、丹波の黒豆の歴史に関わってきた。  1868(明治元)年、6代目店主となった小田垣はとが、金物商から種苗商に転業。黒大豆の種を農家に配り、栽培法を教えて、収穫された黒豆を生産者から直接仕入れ、俵に詰めて販売を始めた。1941(昭和16)年には、当時の兵庫県農事試験場によって、黒大豆の優れた品質と特性調査が行われ、「丹波黒」と品種名が定められた。ところが、

【京都】狂言師・茂山逸平さんらと“口福の涼味”

 和菓子はもとより、祇園文化も牽引する老舗「鍵善良房」の今西善也さん、旧山陰街道筋、人気の餅菓子に加え、夏場はかき氷も行列必至、「中村軒」の中村亮太さん、そして茂山逸平さんの3人が、これまた、予約の取れない鮨割烹「なか一」須原健太さんのお店へ集合。日ごろから「よく集まっては、ほぼ役に立たないことばかり喋る」という京男4人、逸平さん以外は、全員が美味しいものを拵え供する食のプロたち。この時季のスペシャリテから、名品誕生の裏話、京都人気質まで、とっておきの、夏の旨いもん話をお楽し

長崎 中華菓子をたずねて|異国菓子ものがたり

真心込めて作る〝元祖よりより〟 萬順製菓  1571年に長崎が開港すると、ポルトガル船が長崎へやってきた。しかし江戸幕府は次第にキリスト教に対する取り締まりを強め、貿易と同時に布教を行っていたポルトガル人はやがて追放されることになる。1641年、無人になった出島には平戸からオランダ商館が移され、このとき幕末まで続く鎖国体制が完成した。  その少し前から、中国からの船・唐船の入港もまた、長崎港に限定された。キリスト教徒ではない中国人は当初、町中に住むことができたので、江戸時

お菓子の島、平戸へ|長崎 異国菓子ものがたり

 平戸は「お菓子の島」だ。はるかな歴史に育まれた、甘い記憶にたゆたう島。  それは砂糖の記憶である。平戸の菓子はとろけてしまいそうなほど、甘い。なぜならその甘さこそが、経済力と文化、そして先進性の証だったから。かつて砂糖は遠い外国から運ばれてくる、高価で貴重なものだった。400年以上もの昔にその砂糖を受け入れる玄関口になったのが、平戸だ。  遣隋使・遣唐使のころから海外との重要な交通拠点だった平戸に、初めてポルトガル船が入港したのは1550年のこと。南蛮貿易の始まりである

11月1日は紅茶の日! “緑茶の国”の和紅茶を楽しむ

今日、11月1日は紅茶の日(*1)♪ 「ひととき」11月号の特集では、鹿児島と熊本の和紅茶をご紹介していますが、日本では全国各地でおいしい和紅茶がつくられています。 そのひとつが静岡県。お茶の生産量日本一である同県は、数多くの個性的な和紅茶を生産する地域でもあります。 国産紅茶発祥の地とされる静岡市の丸子や牧之原など枚挙にいとまがありませんが、静岡茶発祥の地(*2)といわれる足久保でも、和紅茶がつくられているんです。 安倍川の支流・足久保川の流域である足久保。山深く、昼夜

和紅茶ブレンダーに聞く! おいしく楽しむ和紅茶の世界 

 よい紅茶は、気温が高くて降水量が多く、標高の高い土地で生まれる――そう思っている方も多いかもしれませんが、そんなことはありません。海外はもとより、日本でも山地から平地まで様々な土地で、その場所に応じた個性豊かなおいしい紅茶が生まれています。一般的に、鹿児島・沖縄では力強い紅茶が育ち、本州では柔らかい優しい味の紅茶が育ちますが、産地や品種が同じであっても決して味は画一的ではないのが、和紅茶の最大の魅力です。  和紅茶は、生産者の自己表現が形になったものでもあるでしょう。いま

港町が育てた神戸のパン文化【フロインドリーブ】

歴史ある京都の地で花開いているパン文化。しかし歴史を紐解けば、西のパン文化は神戸からはじまったようです。  神戸はいわずと知れた港町。今も残る北野の異人館街を訪ねれば、港町として発展してきた歴史に触れることができます。幕末・明治の激動の時代。しかし神戸の人々は、未知の世界からやって来た異文化を、恐れるのではなく好奇心と寛容さをもって受け入れ、楽しみ面白がり、取捨選択しながら取り入れていきました。そして独自の神戸文化を、しなやかに洒脱に築いていったのです。 パンが刻む神戸市