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エッセイという名の日記

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日常の中で感じたことや考えたことなどをつらつらと。
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#人生哲学

離れていく縁、つながる縁

いつからだろうか。自分が選ばないほうがいい・結果的に自分に必要がない人や物が選べない、という体質(?)になった。 選ぼうとしても、どこかの段階で「相手から」断られたり、私にも相手にも非がない円満な方法で、第三の選択肢が現れる。そして、あとになってから『あそこで縁が切れたのは必然だった』と気づく。 そもそも、離れていく縁の場合は、第一印象の時点でなんとなく違和感があったり不信感があったりする。でもこの点については、つながる縁の場合も「(いい意味でも悪い意味でも)強烈な印象」

「才能」はいつも他者が教えてくれる

私は、行動力がある人間だと思われることが多いように思う。しかし、自分では全くそうは思わない。一旦やり始めたことはわりあい続くほうなのだけれど、「実際やるかどうか」「最初いつやるか」という部分を決めるのに時間がかかるのだ。 いつもの私の記事を客観的に見ると、自分のやりたいことに邁進しているような感じがする。衝動性が高く、勢いで突っ走っているようなイメージを持っている方もいるかもしれないが、案外慎重で初速が遅いので、周囲からは「考えてる暇があったらやったほうが早いよ」と言われた

「役割のない自分」に戻る時間

久しぶりにひとりで自由に過ごす時間をもった。 いや、正確に言えば、ひとりの時間は毎日あるのだけれど、そういう時は「ひとりで皿洗いをしている」とか「ひとりで洗濯を干している」とか、主に主婦業をこなしていることが多く、『自由なひとり時間』と言える時間ではない。 我が家の家事は、ほぼ私が担っている。夫は、料理はたまにやってくれるのだが、ゴミ出しや掃除、洗濯などの家事は一切やらない。ふたりともフルタイムで働いているが、私のほうが職場が近いし、家事が得意(細かいとも言う)なので、暗

世界が変わる時、新しい服が欲しくなる。

あたらしい環境に飛び込む前。今までいた場所を去る時。あたらしい服が欲しくなる。それはきっと、衣服や靴、装飾品が、自分を形成する「世界」の一部だからだろう、と思う。 環境という「世界」を変えようとする時、『自分』という世界をあたらしくしようとすることは、至極当然のような気もする。だって、これまでの世界とは違う場所に行くのだし、『あたらしい自分』になるのにちょうどいいタイミングだとも言える。 自分を取り巻く世界が変われば、人間関係も変わる。以前と変化した自分について、とやかく

タイミングの正体

タイミング、とは一体なんなのだろうか。ウィキペディアを見てみると『どの時、どの瞬間にすべきか、ということに関する、人間による(あらかじめの)判断・選択のこと』と書かれている。 日本では、運とタイミングは切っても切り離せないものというか、どちらかというと人知の及ばない領域のこと、というニュアンスで解釈されることが多いように思う。 私も、上述したウィキを見るまでは「タイミングとは人の力でどうこうできない、何かを起こす・何かが起こるのに最適な時期」という風に捉えていた。でも『あ

「決める」と叶う理由

先日、とあるyoutubeの動画で「決める(決意する)と物事が動き出す」という話をされている方がいました。これに関して、私もここ数年実践していて、そうだなと思うので、私なりの「決める」と叶う理由を書いてみようと思います。 まず、私が「決める(決意する)」ことで叶ったのは、結婚と転職(+移住)です。だいぶ紆余曲折はありましたけれど。 今回は、結婚(パートナー)の方のエピソードに絞っておはなししようと思います。ちょっと自分語りが長めでごめんなさい。興味のない方は結論まで飛ばし