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タイミングの正体

タイミング、とは一体なんなのだろうか。ウィキペディアを見てみると『どの時、どの瞬間にすべきか、ということに関する、人間による(あらかじめの)判断・選択のこと』と書かれている。

日本では、運とタイミングは切っても切り離せないものというか、どちらかというと人知の及ばない領域のこと、というニュアンスで解釈されることが多いように思う。

私も、上述したウィキを見るまでは「タイミングとは人の力でどうこうできない、何かを起こす・何かが起こるのに最適な時期」という風に捉えていた。でも『あらかじめの判断・選択』という切り口もあるんだ、と新鮮な気持ちになった。

タイミングとは不思議なもので、主体的に生きる人からすればきっと『あらかじめの判断・選択』になりうるのだろうし、受動的に生きる人から見たら『突然降って湧いた好機』みたいに感じられるものなのかもしれない。

私は今でこそ自分で決めて動こう、と思えるようになったけれど、本当に最近までかなり受動的な人間だったから、(良い)タイミングは「出会い頭の事故」のように感じていた気がする。全く予測できないこと、という感じだ。

タイミングの正体はなんなのかな、とふと考えて、今の自分が思い至ったのは、「タイミングとは縁の深さを図るバロメーター」ではないか、ということだ。

縁とは、もともとは仏教用語で『結果を生じる直接的な原因に対しての間接的な原因』とか『めぐりあわせやきっかけ』、『血縁的・家族的なつながり』などを指す言葉だ。

縁も、タイミングや運と一緒によく出てくる言葉なので、これら3つでセットのように解釈されることが多いのかもしれない。厳密にいえば、セット(一揃い)というよりは数式(規則的なもの)のような感じがする(うまく説明ができないけれど)。

『運』は文字通り『はこぶこと』で、『縁』によって生じた事象を、『タイミング』による『判断・選択(+最適な時期)』まで動かしていく。縁の深さが深いほど、その後に起こる動きも大きくなるのではないか、と思うのだ。

よく、タイミングが合う・合わないという言葉が使われるけれど、それはもともとの縁(エネルギー値ともいえる)が深ければ(大きければ)、合う確率も増加するし、逆も然り。

この世で起きる事象・物事には、良い・悪いはないとされているので、タイミングが合わない時は「ああ、これは元からそんなに縁がないんだ」と判断する材料になり得るんじゃないか?と。

縁の深さというのは、それこそ人知の及ばない領域のことだと思うから、『タイミングが合わない』ことは悪いことではないし、本来は悲しむことでもないのかもしれない(自分の感情が割り切れるかどうかは別として)。

きっかけは『縁』という自分ではコントロール不可能な領域だとして、「その後の『運』と『タイミング』を自分でなんとか動かそうとしてみたけれど、結果的にうまくいかなかった」という場合は、結果よりも過程が自分にとって必要だったんだとも言える。

全ては捉え方次第なんだけれど、私は、この3次元の世界で「逆らえない枠組み(生老病死)の中で、自分は何をしたいのか(するのか)」を追求するのが、私が人間として生きている意義なんじゃないかと感じていて。

縁の深さ云々は自分ではコントロールできないし、最終的に死ぬというゴールも変えられない。いつかは誰しも死ぬんだけれど、じゃあなんで生きるの?と言われたら、それは「他の誰かに影響を与えたり与えられたりして、次の時代に意識をつないでいくため」なんだと思うのだ。

子孫を残さなくても、偉大な功績を残さなくても、大なり小なり縁はあって、それによって誰かに必ず波紋を残すようにできているんじゃないか。その波紋が、生きている証であり、意義であり、極論を言えば他人の『運』や『タイミング』のスイッチを押す役割でもあるというか。

ちょっと(かなり?)話が脱線したけれど、『タイミング』はひとりではできないものなのだ、というのが言いたかった。

今日の私の結論は、『タイミングは縁の深さのバロメーターでもあり、人との関係性の中でしか存在し得ないもの』である、ということ。

内容がまとまっていなくてごめんなさい。みなさんにとって『タイミング』とはなんですか?

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