w.v.snowman

何の取り柄もないオカルト好きです。

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最近の記事

🔳摂心について(2)

さて、1日に50分✖️6回、もしくは50分✖️10回🧘をしたと聞くと如何にお考え? もしかして「坐禅の達人!」とかお思いではないでしょうね〜。そんな事はないですよー。 学校の授業と一緒!自分1人で6〜8コマ勉強できる人は、ほんの一握り。摂心もそう。1人ではなく、他の人が居るからできるのです。 それに、とても集中したとか言えません!雑念バンバン!足は激しく痛い。何より辛いのが、坐禅の終わりを告げる鐘の音はいつ鳴るのだろう…と辛い事ばかりです。 坐禅中、時たま夢か幻か、奇

    • 摂心(せつしん)について(1)

      簡素に紹介。お釈迦さまが12/1未明から瞑想を始められた。丸々7日間継続され8日目の未明、宵の明星が天に輝くとき悟りを開かれた。 それに肖り、禅宗とされる宗派に於いては12/1〜12/7➕12/8早朝まで坐禅を組む。これを蝋八摂心(接心とも書きます。)と呼び、それに準じた修行として1日の殆ど坐禅に費やす修行を摂心と呼びます。 特に臨済宗においては蝋八大摂心と呼び寝るときでさえ坐禅を組んだ状態で睡眠をとる。だから命を縮める修行とも言われていた。 僕は30歳の終わりことから

      • 🔳静坐について

        以前に記載したように、僕は右膝内側副靱帯を痛めて坐禅の形が取れなくなりました。そこで静坐に変えてます。 また生活環境の変化から朝50〜60分の瞑想をしていたのだけれども、朝と晩に夫々20〜40分坐わる事に変えてます。 静坐の良い所、恐らく様々な瞑想の形をとる中でもっとも「立腰」の形を取れるフオ-ムだと思います。 坐禅🧘の経験者だったら経験あると思うけど、雑念が湧いた時、背筋を伸ばして頭を上に上げる…雑念が消えますよね。それが静坐の場合、ほぼ頭で天を押している状態で背筋が

        • 🔳コラム 最近の瞑想

          最近、瞑想のやり方を変えました。 今までは毎朝4:30〜5:00に起きて40〜60分瞑想をしてました。 僕は右股関節が硬く、結跏趺坐が組めません。生まれた時、右股関節亜脱臼で産まれており、昔からアグラさえ苦手です。よって半カ趺坐の形を取って17歳の時から今日まで野狐禅を組んでました。 60歳を越えた頃から右膝内側の内側側副靭帯に痛みを感じ始めました。それが段々と強くなり、ここ最近は座り方を工夫したり、立禅をしてみたりして、自分の身体を持って瞑想の型を試して見ました。 結

          瞑想について(9)

          まぁ、ここ迄は瞑想は「潜在意識浄化」と「宇宙を創造した意識との直接的接点」を目的とするものであると記載したつもりです。 ならば人類は皆、瞑想🧘をすべきとなります。基本的に僕は皆んなが瞑想する世界になれば良いとは思ってますけど、現実として「今」若しくは「今生」では(瞑想を)実践しない方が良い方々がおられます。 それは非器質性障害を患われて居る方です。此の病気はいろんな事情があるので一言では言えません。 以下オカルトです。 瞑想中、四次元(霊界)から見たとき「目立つ」存在

          瞑想について(9)

          瞑想について(8)

          瞑想は日常生活と睡眠の間に位置付けられ、日常生活の中で自発的積極的に潜在意識に触れるメソドと考えます。 実際、これはデ-タ-らしいけど、瞑想中は睡眠以上に新陳代謝が上がっているらしい。 繰り返しとなりますが、瞑想は顕在意識が優位な時間帯に、睡眠とは異なる形で潜在意識に直接触れることと言えます。 但し交感神経や前頭葉優位下から副交感神経や副交感神経優位とスイッチする為、「あ〜いま潜在意識に触れているな〜」とか実感できるものでは有りません。せいぜい瞑想後に、日常生活で感じる

          瞑想について(8)

          瞑想について(7)

          何の為に瞑想をするか?  顕在意識と潜在意識と云う言葉があります。辞書を引けば自分の意識の自覚出来ている意識と自覚出来ていない意識とある。まぁ私見だけど、この潜在意識と云う言葉、言葉として問題あると思う。これは後述とさせて頂く。 以下、僕の仮説である。 顕在意識と潜在意識、顕在意識は潜在意識から派生しているモノなので常に一体である。だから普段の日常生活に於いても離れ断裂することはない。 [日常] 然し普段の生活で特に 1.善きにしろ悪きにしろ精神的に大きく感情が変動す

          瞑想について(7)

          瞑想について(6)

          瞑想中、何を思うか?僕は自宅外で瞑想する時、定期的に曹洞宗の坐禅会へ参禅させて頂いた。その関係で曹洞宗の影響を強く受けている。そうではあるけど、ここでは其処に拘らず簡素に記載したい。以下の分類は僕独自の分け方です。 1.何かをイメージする。  真言宗の阿字観、信仰する神仏、  瞑想指導者の指導すること  ここでは臨済宗の考案もここに入れ  ます。 2.呼吸等に意識する。  数息観、吐く息に意識する。 3.次々と思い浮かぶ思いを、その浮かぶ想念を切ることを続ける。  曹洞宗の

          瞑想について(6)

          瞑想について(5)

          1.費やす時間⏰ 1時間!肉体をもつ我々は1日1時間瞑想することが望ましい。 導師的立場のひとは4時間/日もあろうけど、一般人は1時間以上する必要はないと思う。 と言いながらも、置かれた環境下で「とてもとても1時間も時間を割けない。」という事もあるでしょう。ここでご安心下さい。 毎日続ける事が大切なのです。だから1日30分でも、15分でも、10分でも、5分でもイイ!毎日瞑想を続けてまいりましょう。 因みに僕の場合です。僕、意外と忙しい仕事をしているんです。ただ土日は休める仕事

          瞑想について(5)

          瞑想について(4)

          以下、経験則のためベストと云うつもりなし。あくまでご参考に。 まず形について2点。 1.目 目を開けて瞑想する方法と目を瞑り実践してする方法が有る。 結論、初心者や一般人は目を開けて行った方がいい。一部超能力的資質や使命を帯びている人は目を瞑り行われるだろうし、仕事で慢性的睡眠不足の人は目を瞑って実践した方が良いと思う。 2.立腰 必ず腰をまっすぐにすること。となると (あ)立ってする。 腰を立てるには少し膝を曲げる必要あり。この方法は身体に強く刺激がある為、体力作り

          瞑想について(4)

          瞑想について(3)

          何のために瞑想をするのだろうか? これは多々見解はあろうけど、瞑想は、自分の意識の深く(広くと書いた方が正しいかも知れない)にある大我とも言うべく宇宙創造の意識に小我(普段我々が自分と思っている通常の意識)を持って接するメソドと定義する。 普段生活をしている時、自分の意識(小我)で心と身体を使って生きている。夜(人によっては昼)に睡眠をとる。睡眠を取ることにより、小我の活動弱まり、大我に委ねる。これにより宇宙創造の力に触れ、心と身体がリフレッシュされる。よって短眠を説く人

          瞑想について(3)

          瞑想について(2)

          恐らく殆どの人が初めて瞑想を5〜20分実行してみたら意外と気持ちいいとおもわれる。 まぁこれはビギナーズラックのようなもの。継続するとカツタルイと思う人も居るだろうけど、精神集中どころか雑念ばかり出るのではなかろうか? この雑念ばかり出てくること、これは寧ろ当たり前で有る。瞑想は基本的に姿勢を固定する。この姿勢を固定すること、実は非日常の行為である。 我々は何もしない時を表現する言葉としてゴロゴロすると云う。実は必ず小さな動作をしている。 瞑想のときに固定する姿勢をと

          瞑想について(2)

          瞑想について(1)

          最近、米国からマインドフルネスとされ瞑想の有効性を紹介されている。 山本七平ではないけど、未だ日本人は「文化は外国から来る」とでも思っているのだろうか? 僕が日本人の瞑想について、また禅について語られる内容を聞くに、マインドフルネス指導者や瞑想を勧める医師の知識は「浅く」感じます。 瞑想の効果を簡単に記載すると睡眠と同じく宇宙創造者からの力を少し多めに頂けるとこと、潜在意識の浄化にあると考える。

          瞑想について(1)

          オカルト的生き方(2)

          🔳瞑想 さて、オカルト的生き方と言っても、その興味の方向性から異なっているものだけど、これは忘れないようにしたいと云うものはある。 それは「瞑想」である。自分をオカルトと名乗る以上、瞑想を欠かしてはいけない。 毎日必ず行う事!可能であれば毎日1時間は瞑想したい。 でも生きていたら色々ある。そんな日は15分でも10分でも良い。毎日欠かさない事だ。 洗心の次に瞑想について意見を記載していきたい。

          オカルト的生き方(2)

          🔳宇宙の理に学ぶ(8)

          「感謝の生活をなせ」 これは日常の基本ですね。 前述の通り、ナポレオンビルやマフイ-の話から想念は一定期間の後に現実化する。只、我々凡人は幸せにはなりたいけど、強く出世競争に意識はいかないし、スポーツでチャンピオンになりたいと妄想はしても、実際に強く手中に納めたいと思い続けれない。 ても、どんな時も感謝の生活をしていれば、漏れなく幸せな感謝すべき現実がやってくる理屈だ。 処が生きていれば艱難辛苦は避けれない。自分のミス、誤解、他人からの責のなすりつけられ、事故に巻き込

          🔳宇宙の理に学ぶ(8)

          🔳宇宙の理に学ぶ(7)-2

          その昔、僕は「知る」「獲得する」「身につける」「貯める」を幸せの礎と思ってました。 購入した数千の本を見ると自分を知識人かの如く満足感に浸ってました。処が馬齢を重ね、考えが変わりました。 モノを「捨てる」「手放す」「掃く」「ふく」の方が幸せなんだと思います。 呼吸も吐く息の長い方が、息は深いですもんねー

          🔳宇宙の理に学ぶ(7)-2