🔳コラム 最近の瞑想

最近、瞑想のやり方を変えました。
今までは毎朝4:30〜5:00に起きて40〜60分瞑想をしてました。

僕は右股関節が硬く、結跏趺坐が組めません。生まれた時、右股関節亜脱臼で産まれており、昔からアグラさえ苦手です。よって半カ趺坐の形を取って17歳の時から今日まで野狐禅を組んでました。

60歳を越えた頃から右膝内側の内側側副靭帯に痛みを感じ始めました。それが段々と強くなり、ここ最近は座り方を工夫したり、立禅をしてみたりして、自分の身体を持って瞑想の型を試して見ました。

結果、静坐が一番しっくりくるので、今は静坐で瞑想をしてます。

家庭の私的事情があって、また61歳まだ再雇用として働いている為、朝に1時間弱瞑想する事が難しくなりました。

よって今は、昔からTMを学んでいた頃を準用し、朝20〜30分、寝る前に20〜30分ほど静坐にて瞑想してます。

個人的意見ですけど、瞑想は、行じる型により、瞑想の感覚に違いがあります。只、それは此処では記載しません。

処で、気になることがあります。本やSN Sで、瞑想を成功の手段や超常現象可能人間になる為のメソドとして謳っている話を耳にします。しかしそれはチト違うと考えてます。

例えばです。ジョギングと瞑想は違いますけど、ジョギングを愛好する人がオリンピック金メダルを夢見てるでしよか?ジョギングによる効能は期待しつつもジョギングが好きだから走るのです。

瞑想もそう。瞑想は人が日中働き、夜に寝る。その間に食事も取れば風呂にも入る。その一環として1日のウチに一定時間、その方の生活に合わせて瞑想するものです。

効能について私見ですけど、先の例に挙げたジョギング。ジョギングを毎日したところで、ジョギング本に記載あるご利益を感じませんが、長いこと続けていると求めなくともランナーに「変化」が出て来ます。

瞑想もそうです。長年業じることで、知らず知らずに「変化」を学ぶものです。

特に瞑想は、ある程度精神的進化が進むと、ちょうど芸術や哲学を学ぶように瞑想を始めます。その瞑想は、人間が肉体を得ている時も、霊体となってからも恒常的に、卒業することもなく行うようになるものです。

瞑想の効能など考えず、一般人は最大1時間、多忙な時は15分でも10分でもと毎日の習慣として行うものです。

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