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【感想文】『月と散文』又吉直樹著

本で破産する覚悟はできていませんが、本が好きです。
こんにちは、永遠の図書委員ユルワです。

9月は中秋の名月の季節。
確かに月夜の美しさに、しばし見とれて電信柱に激突してしまったり・・・
すみません、嘘つきました。


月の妖しい美しさ

正直我を忘れるほど月に心を奪われたわけではありませんが、今時分は月が美しい。というか、月そのものが妖しい美しさを湛えていると私は思っています。

占いの仕事をしていたこともあるので、タロットカードはよく知っているのですが、月のカードというのがありまして、これがあまたのアーティストによって、それはそれは美しく表現されているんですよね。

月とは海外で「狂気」とリンクするところもあれば
「直感」「インスピレーション」など神秘的な力を想起させる
意味合いがブレンドされた不思議な存在でもあるわけです。

私自身、そんな月に惹かれて止まない人達のうちの一人。
だからか本のタイトルに「月」の文字があるだけで、妙に反応してしまう

本と月

今ネットで調べたらタイトルに「月」が入っている本って多いんですね。
(天文学的な専門書を除く)

文学系にもあまたあるわけでして、例えば・・・

🌛月と六ペンス

🌛月とコーヒー

🌛月と雷

🌛月の満ち欠け


まだまだありますが、この辺にしておきましょう。

そして本題の『月と散文』を書棚で見かけたときには、無自覚的に手が伸びてしまったわけですよ。

現実と妄想が交錯する『月と散文』

著者についてはもはや説明なぞ不要だろう。お笑い芸人であり、小説家であり、肩の力が抜けたようで読み手の心をつかんで離さないエッセイストでもある、又吉直樹である。

本好きとしてこの場で発信してはいるけれど、別に文芸評論をやりたいわけではないから、あれこれ書き連ねるつもりはありません。

ただ、月と組み合わせる言葉が「散文」っていうのが、ニクい。
この時点で心を持っていかれている。

10年ぶりのエッセイ集だそうで、芥川賞を受賞し、相方が渡米、さらにはコロナ禍で活動自粛を余儀なくされた出来事を経て、才能ある文筆家が何を語るのか―

帯の言葉も秀逸だ。

センチメンタルが
生み出す爆発力、
ナイーブがもたらす激情。

ネタバレ防止の観点から詳細は伝えませんが、現在と過去、ギャグとマジ、現実と妄想を縦横無尽に駆け巡りながら綴られる文章世界は、又吉直樹唯一無二のもの。

・・・なんて書いてはいるけれど、実はわたし彼の小説は未読である。
理由は時分でもわからない。ある程度の年齢になって小説を手に取ること自体が、若い頃と比べてグッと減ってしまったこともあると思う。

小説よりも、エッセイや旅行記の類いを年齢を重ねた今でも読み続けている。だから又吉直樹の言葉に触れたのも、エッセイだった。

内田百閒がお笑い気質をもって現代社会に蘇ったような文章世界に、緩やかに引き込まれ、あっという間に読み終えてしまったのを今でも覚えている。

いつか「月」をタイトルにした本を書きたい


文章を書く仕事がしたいと長く思っていた。
子供の頃からそう、願っていた。

その夢は、実はある程度は叶っている。

別の仕事で電子書籍を出版したし、ブログ自体は20年近く書き続けてきた。
そしてライティングの仕事もしている。

けれども、ビジネス的要素のない文章を綴って紙の本を世に出す。
それは全く別の次元の話だ。

いつかそういうことができたらと願っているし、その時のタイトルには「月と~~」にしようかなとすら思っている。


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