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《PTSD》戦争帰還者と毒親育ちが同じ症状に苦しめられている。
私は機能不全家庭出身、毒親サバイバーの虐待サバイバーです。
メンタルクリニックに通いながらも、去年に毒親から夜逃げして何とか生きている30代の元美容部員です。
久々にスカートを作っているのですが、布地が迷彩柄風の模様のため、ある方を思い出してしまいました…
◎兵隊さんだった親戚のおじいさま
私は若い頃、親戚の家に預けられていた時期があります。
そのお家のおじいさまは戦争に行った方でした。
(ご高齢だったので、もう亡くなっていると思います。)
なにせ、昔のことです。
精神を患う私のことをよく罵倒していました。
そりゃあ、ただの怠け者にしか見えなかったでしょう。
障害者雇用という言葉すらまだない時代。
私は食と住を与えていただいているからと、掃除と洗濯と皿洗いとペットのお世話をやらせていただきました。
『ワシはなぁ、戦争のときに人をたくさん殺したんじゃ!
お前をくびり殺すなどわけないぞ!』
『この穀潰しめ!』
『お前の母親は恥知らずだなぁ。
このような役立たずの娘しか産めなかったなんて、旦那に顔向けできんだろうに!』
確かに私の母は、すでに私に手を上げていました。
確かに、ある意味『恥知らず』でしょう。
当時のこのような罵倒に私の心は潰れていきました。
確かに、私は酷い機能不全家庭で育ったため『非常識なところがあった』『ひととの接し方がわからなかった』のは否めません。
その点に関しては本当にご迷惑をおかけしたと反省しています。
◎『お前をくびり殺すなどわけないぞ!』
私はそのような言葉をいまは違う視点から捉えています。
おじいさまは眠るとき『塹壕の中』で眠るように身体をピンと伸ばして…そう『硬直』した状態で眠ってらしたそうです。
平成時代のちょっと上等なベッドの上さえ、おじいさまにとっては塹壕の中だったのです。
ほんの少しの物音で飛び起きてしまわれる。
私はその点をよく理解しておらず、自分が睡眠薬を追加で飲むために水道を使ってしまっていました。
夜中の蛇口の音は辛かったでしょう。
悪いことをしたと思っています。
おじいさまは戦争によるPTSDに苦しめられていた一人だったのです。
当たり前のことですが、戦争体験はトラウマそのものです。
結局、私は親戚の家を離れ、住まいを転々とし、一度は実家に戻りました。
その後、夜逃げしていまようやく自分の部屋を居場所だと感じています。
◎わかりあえなくても…PTSDだったのでは?
その親戚のおじいさまと私が理解し合うことはありませんでした。
私も虐待経験というトラウマを抱えていますが、当時の私には『自分は虐待を受けているんだという自覚』がありませんでした。
自分がトラウマ持ちだとすらわかっていませんでした。
妹の自傷や、母の奇行をいかにして抑え込むかという『目の前の問題』しか見えていませんでしたし…。
あれから、十何年も経ちました。
いま私が苦しめられているのは複雑性PTSDです。
常に過覚醒。
フラッシュバックや過呼吸。
身体に力が入りすぎ、痛みます。
なにかの拍子に背面の肉離れが起こるたび、こんな身体を憎みます。
人の表情、一挙手一投足、気にして気にして、身体が引きつります。
常に戦闘態勢です。
まるで火災報知器のような自分の身体に嫌気が差します。
おじいさまは戦争体験によるPTSDなので、どちらかと言ったら単回性トラウマだと思っていましたが、戦争に行っていらした時間は長かったでしょう。
PTSDの種類の判別は医師でも難しいことなので、私が判別することではありません。
しかし、あのおじいさまも複雑性PTSDに近いものと戦っていらしたのではないかと思っています。
私とは種類は違っても、おじいさまは難しいトラウマを抱えていたのだと感じています。
◎毒親と虐待と戦争
私が戦ってきたのは、毒親と虐待です。
戦争に行ったのとはワケが違うはずなのに。
なぜ似通った症状に苦しめられてしまうのか。
…いや、
戦争だったんですよ。
小さな頃から私は戦に出ていたんです。
その解釈なら納得がいきます。
ウクライナ情勢をテレビで見ることが私はできません。
『お家がないの』
そう言って泣く子供の映像が耐えられないからです。
心理的なお家は私にも無かったから。
戦争の話を聴く度に考えます。
世界情勢のこと。
おじいさまのこと。
実家のこと。
そして自分自身のこと。
◎最後に
長い時間が経つと、自分の苦しみを俯瞰して見ることができるようになるのでしょうか?
怖くて仕方なかった親戚のおじいさまを今は“そっと”思い出すことができます。
私は自分の経験は辛いものだったと思っていますが、だからこそ深くものごとを考えます。
この世には色々な人がいると知っています。
“そっと”自分のことも包めたら。
それができたら、花丸💮20000個あげられるよ。
苦しんでいる自分のことさえ、“そっと”包めたら。
それでいいんじゃないかって思っています。
※久々にお裁縫をしていたら、こんな事があったなぁと思い出しちゃって…。
読んでくださった方、ありがとっ♡