柳田國男の「橋姫」を脱線する#2『山梨県市郡村誌』『甲斐口碑伝説』
はじめに
柳田国男の「橋姫」を、その出典をいちいち辿りながら読んでいます。
前回は、議論の中心となる話として、大橋で猿橋の話をすると怪異があり、猿橋で大橋の話をしても怪異があること。その怪異の内容は、女が出てきて、「もう一方の橋へ手紙を届けてほしい」という、手紙の内容を盗み見ると「この男を殺すべし」と書かれていたので、書き換えて届けたところ、助かったという話でした。
03.その変形
05
国男は内容の不整合性こそが、創作ではない証拠だと言います。
「この男を殺すべし」と書かれているのを知った時点で、手紙を捨てて逃げてもよかったはずです。わざわざ書き換えて律儀に届けるとは、チャレンジャーですね。
私には却って創作のにおいがするのですが、どうなんでしょうか。
「殺すべからず」に書き換えられた手紙を見て、橋姫は喜んだ(欣然)というのは、確かに不自然です。
わざわざそんな手紙を書いて届けさせるわけはありません。
無理やり話を丸く収めるために改変された内容なのかなと、私も思います。
思い出すのは、太宰治が『御伽草子』の中で、「カチカチ山」について
と述べていることです。
これも探せば、似たようなのを幾つも見つけられそうです。
06『山梨県市郡村誌』
「明治二十年前後に出版せられた「山梨縣町村誌」」とありますが、調べたところ見つかりませんでした。
そこで、図書館の司書さんにレファレンスしたところ、山梨県立図書館と山梨県教育委員会教育庁学術文化財課に問い合わせをしてくださいました。
この二つの回答は『山梨県市郡村誌』のことではないかということでした。
7年前の司書さんありがとうございました!
『山梨県市郡村誌』に次のようにあります。
国男が引いている内容と同じですね。
ただ、この文章には見覚えがあります。
前回確認した02『甲斐國志』です。
若干異なる部分もありますが、「院本野宮」や、「何ノ故ナルヲ知ラス」など、下敷きにしたであろう表現が散見されます。
明治期に編纂する際には、それ以前の資料も当然参照するわけですから、『甲斐國志』が踏まえられていてもおかしくありません。
そこで『日本歴史地名大系』(平凡社)を確認したところ、『山梨県市郡村誌』は「「甲斐国志」を補完する目的で編纂されたといわれ」ているそうです。ここだけでなく、さまざまな項目で共通する文章があるのでしょう。
国男は「現にまたさらに變つた話になつてゐて」とこの話を紹介していますが、『甲斐國志』にありますし、内容的にも特に変わったところはありません。
07「甲斐口碑傳説」
この本も見つけることができませんでした。
「縣の商業學校の生徒たちの手で集められた」とあるので、山梨県に行けばどこかにあるのかもしれません。
「山梨縣町村誌」と一緒に調べてもらったのですが、見つからなかったので、もし誰か知っている人や持っている人がいたら、是非一報ください。
もし見つかったら、個人的に結構大きな発見なんじゃないかと思います。
柳田文庫がある成城大学図書館のOPACでもヒットしませんでした。
NDLデジコレでも、引用されているのは見つかりますが、それそのものは出てきません。
因みにChatGPTに聞いてみたところ、「司馬遼太郎によって書かれた歴史小説」だそうです。なんと主人公は山県昌景!(笑)
内容は、大橋で「野宮」を謡うと怪異があることを思い出して謡ってみたところ、2,3町先で婦人に乳呑児を頼まれます。この婦人が鬼女になって襲い掛かろうとしたので、一目散に逃げたが、家の玄関で気絶した。という話です。
国男は乳呑児のくだりが唐突なので、創作ではないと述べています。
私の主観としては、会った人に赤子を抱かせる産女という妖怪がいるので、近接している伝承と混ざったか、混ぜた創作もありうるのではないかと思います。しらんけど。
おわりに
ちゃんと「橋姫」を読み返さずに考えながら書いているのでよくないんですが、あとで「産女」についても考察されていました。
議論はまず「手紙を託すこと」について掘り下げていきます。
それから、「産女」、「謡い」についてと、前回の「中心にする話」と今回の「その変形」を軸として、要素を分解して深めていきます。
私も全く内容を憶えていないので、整理しながら読んで楽しんでいます。
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