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柳田國男の「橋姫」を脱線する#2『山梨県市郡村誌』『甲斐口碑伝説』

はじめに

柳田国男の「橋姫」を、その出典をいちいち辿りながら読んでいます。

前回は、議論の中心となる話として、大橋で猿橋の話をすると怪異があり、猿橋で大橋の話をしても怪異があること。その怪異の内容は、女が出てきて、「もう一方の橋へ手紙を届けてほしい」という、手紙の内容を盗み見ると「この男を殺すべし」と書かれていたので、書き換えて届けたところ、助かったという話でした。


03.その変形

この話の單純な作り話でないことは、第一にその鍔目の合はぬことがこれを證據立てる。旅人がわざ〳〵書面を偽作して正直に持つて來たのもをかしく、それを見て橋姫が悦んだといふのも道理がない。恐らくは久しく傳へてゐる中に少しづゝ變化したものであらう。

「橋姫」本文05

明治二十年前後に出版せられた「山梨縣町村誌」の中には、現にまたさらに變つた話になつてゐて、この橋の上を過るとき猿橋の話をなし、或ひは「野宮」の謠をうたふことを禁ず、もし犯すときは必ず怪異あり、その何故たることを知らずとある。

「橋姫」本文06

六七年前にこの縣の商業學校の生徒たちの手で集められた「甲斐口碑傳説」中にある話は、またこんな風にも變化してゐる。或人が早朝に國玉の大橋を渡る時に、「野宮」を謠へば怪ありといふことを思ひ出し、試みにその小謠を少しばかり諷つて見たところ、何の不思議も起らず二三町ほど行き過ぎたが、向うから美しい一人の婦人が乳呑兒を抱いてやつて來て、もし〳〵甚だ恐れ入りますが、足袋のこはぜを掛けます間ちよつとこの兒を抱いてゐて下さいと言ふ。それでは私が掛けて上げようと屈みながらふと見上げると、たちまち鬼女のやうな姿になり眼を剝いて今にも喰ひつきさうな顔をしてゐたので、びつくりして一目散に飛んで歸り、我が家の玄關に上るや否や氣絶した云々。これも小説にしては乳呑兒を抱けと言つたなどが、餘りに唐突で尤もらしくない。

「橋姫」本文07

05

国男は内容の不整合性こそが、創作ではない証拠だと言います。

「この男を殺すべし」と書かれているのを知った時点で、手紙を捨てて逃げてもよかったはずです。わざわざ書き換えて律儀に届けるとは、チャレンジャーですね。
私には却って創作のにおいがするのですが、どうなんでしょうか。

「殺すべからず」に書き換えられた手紙を見て、橋姫は喜んだ(欣然)というのは、確かに不自然です。
わざわざそんな手紙を書いて届けさせるわけはありません。
無理やり話を丸く収めるために改変された内容なのかなと、私も思います。

思い出すのは、太宰治が『御伽草子』の中で、「カチカチ山」について

この物語も、他のお伽噺に較べて、いくぶん荒つぽく出来てゐる。だいいち、どうも、物語の発端からして酷だ。婆汁なんてのは、ひどい。お道化にも洒落にもなつてやしない。狸も、つまらない悪戯をしたものである。縁の下に婆さんの骨が散らばつてゐたなんて段に到ると、まさに陰惨の極度であつて、所謂児童読物としては、遺憾ながら発売禁止の憂目に遭はざるを得ないところであらう。現今発行せられてゐるカチカチ山の絵本は、それゆゑ、狸が婆さんに怪我をさせて逃げたなんて工合に、賢明にごまかしてゐるやうである。それはまあ、発売禁止も避けられるし、大いによろしい事であらうが、しかし、たつたそれだけの悪戯に対する懲罰としてはどうも、兎の仕打は、執拗すぎる。

青空文庫

と述べていることです。
これも探せば、似たようなのを幾つも見つけられそうです。


06『山梨県市郡村誌』

「明治二十年前後に出版せられた「山梨縣町村誌」」とありますが、調べたところ見つかりませんでした。

そこで、図書館の司書さんにレファレンスしたところ、山梨県立図書館と山梨県教育委員会教育庁学術文化財課に問い合わせをしてくださいました。
この二つの回答は『山梨県市郡村誌』のことではないかということでした。

7年前の司書さんありがとうございました!

『山梨県市郡村誌』に次のようにあります。

大橋 一ニ逢橋ニ作ル。獨川ニ架ス。相傳フ往昔獨川ハ水停滝シテ川幅廣ク橋ノ長サ凡百八拾間。本州第一ノ長橋ニシテ此橋上ヲ過ル時猿橋ノ談及ヒ院本ノ野宮ヲ謠フコトヲ禁ス。若シ犯ストキハ必ズ怪異アリト。其何ノ故タルヲ知ラス。

第1編 上巻 第拾参巻 国里村誌 古跡 大橋 124コマ
島崎博則 編『山梨県市郡村誌』,山梨県市郡村誌出版所,明25-27.
国立国会図書館デジタルコレクション

国男が引いている内容と同じですね。

ただ、この文章には見覚えがあります。
前回確認した02『甲斐國志』です。

土人相伝ヘテ此橋ニテ都留郡猿橋ヲ語ラス猿橋ニテ此橋ヲ語ラストナン彼ハ其深キニ矜リ此ハ其長キニ矜ル故カ又猿去訓近シ逢ニ去ヲ忌ムノ義カ又院本ノ中ノ野宮ノ一齣ヲ謡フ時ハ必ス怪事アリト云伝ヘタリ何ノ故ナルヲ知ラス

巻之六十 神社部第六 山梨郡中郡筋 p891
復刊「甲斐國志」甲斐国志編纂会(昭和46年8月)天下堂

若干異なる部分もありますが、「院本野宮」や、「何ノ故ナルヲ知ラス」など、下敷きにしたであろう表現が散見されます。
明治期に編纂する際には、それ以前の資料も当然参照するわけですから、『甲斐國志』が踏まえられていてもおかしくありません。

そこで『日本歴史地名大系』(平凡社)を確認したところ、『山梨県市郡村誌』は「「甲斐国志」を補完する目的で編纂されたといわれ」ているそうです。ここだけでなく、さまざまな項目で共通する文章があるのでしょう。

国男は「現にまたさらに變つた話になつてゐて」とこの話を紹介していますが、『甲斐國志』にありますし、内容的にも特に変わったところはありません。


07「甲斐口碑傳説」

この本も見つけることができませんでした。
「縣の商業學校の生徒たちの手で集められた」とあるので、山梨県に行けばどこかにあるのかもしれません。

「山梨縣町村誌」と一緒に調べてもらったのですが、見つからなかったので、もし誰か知っている人や持っている人がいたら、是非一報ください
もし見つかったら、個人的に結構大きな発見なんじゃないかと思います。

柳田文庫がある成城大学図書館のOPACでもヒットしませんでした。
NDLデジコレでも、引用されているのは見つかりますが、それそのものは出てきません。
因みにChatGPTに聞いてみたところ、「司馬遼太郎によって書かれた歴史小説」だそうです。なんと主人公は山県昌景!(笑)

武田静澄 著『日本伝説の旅』上 (北海道・東北・関東・中部),社会思想研究会出版部,1962. 国立国会図書館デジタルコレクション

内容は、大橋で「野宮」を謡うと怪異があることを思い出して謡ってみたところ、2,3町先で婦人に乳呑児を頼まれます。この婦人が鬼女になって襲い掛かろうとしたので、一目散に逃げたが、家の玄関で気絶した。という話です。

国男は乳呑児のくだりが唐突なので、創作ではないと述べています。

私の主観としては、会った人に赤子を抱かせる産女という妖怪がいるので、近接している伝承と混ざったか、混ぜた創作もありうるのではないかと思います。しらんけど。

おわりに

ちゃんと「橋姫」を読み返さずに考えながら書いているのでよくないんですが、あとで「産女」についても考察されていました。

議論はまず「手紙を託すこと」について掘り下げていきます。
それから、「産女」、「謡い」についてと、前回の「中心にする話」と今回の「その変形」を軸として、要素を分解して深めていきます。

私も全く内容を憶えていないので、整理しながら読んで楽しんでいます。


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