摂食障害、かけてほしかった言葉たち。
過食嘔吐していた時代のことは正直あまり覚えていない。
拒食症になった経緯はなんとなく思い出せるけれど、一日中寝て過ごして水分だけを摂る生活になって少し経った頃からの記憶は朧げ。
だからざっくりとだけど過食嘔吐していた時のことと、心が楽になる言葉、当事者の感情(個人的な)なんかを書いてみる。
夏休みが明けて、飲み物だけではさすがに体力が持たなかったので1日3回に分けてリンゴひとつを食べる事にした。
だけどたまにひと口程度、なにか別の固形物を食べてしまう時もあった。
そんな時はいつもとてつもない恐怖心に襲われた。
その時の感情は、体重が増えるかもしれないどうしよう、もう嫌だ、死にたい。だった。
死にたくなって、でもまた少し食べてしまって、また死にたくなる。
そんなことを何度か繰り返しているうちに、どうせなら好きなだけ食べて吐けばいいじゃん。と思った。
そこから私の過食嘔吐時代が始まる。
人間の食べる3日分ぐらいの食事量を数分で平らげ、トイレに駆け込む。
髪を結んで口に指を突っ込みながら、私何やってんだろー死にてえーといつも思ってた。
その一方で、嘔吐することは救いでもあった。
その当時の私の脳内では
食事して体重が増える=猛烈な死にたさ
だったので、嘔吐はその死にたさをどうにか軽減してくれる行為だった。
毎日のようにそれを繰り返して、でもたまに全部吐き出すことが出来なくて恐怖と死にたさに襲われて。
でも段々と吐き出しにいくことすら面倒くさくなってきて、どうせ消化されちゃう分もあるんだしもうよくない?って思い始めて。
結局私は通院したりすることなく、なぜか18歳ぐらいで摂食障害がほぼ完治した。
決定的な要因はわからないけど、少し自分を認められるようになったり、いい意味での適当さを覚えたんだと思う。
極度の面倒くさがりでよかった。
今摂食障害の人に言いたいことも言えることも、ひとつもない。
なってしまったものは仕方がない。
だけどもし、身近な人が摂食障害でどうにかしてあげたいと思っている人がいるなら、その子を褒めてあげて、と言いたい。
みんな自分の中で体重計の数字や、メジャーの数字、他者からの評価、あとは自分の食欲や死にたさ、恐怖心なんかと戦ってる。
軽いダイエットの延長で摂食障害になってしまった人に対しては「よく頑張ったね。もう肩の力抜いていいんだよ。あなたはとっても素敵な人だからね」と言ってあげてほしい。
「そんなガリガリに痩せて身体に悪いよ!将来どこかが悪くなってもいいの?こんな大変なことになる可能性もあるよ?体重増やそう?」なんていう常識的な言葉は、本当に本当に1ミリも心に届かないんです。
健康なんてもうどうだっていい、そんな気持ちだから。
どこかのだれかに響けば嬉しい。
1ミリにも満たない微力だけど、もしもなにかのきっかけでこの私の話を読んで「自分はもう頑張ったんだ」「あの子にこう声をかけてあげよう。こう見守ってあげよう」と思ってくれる人がいればいいな。
みんながんばっててみんなえらい。
生きててめっちゃすごい。
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