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あの夏、沖縄で。1999年、夏、Mr.Childrenが見た風景


ミスチルのこの曲。ザ・吉田拓郎な印象の曲ですぐにお気に入りになりました。(wikiによれば、やはり吉田拓郎の曲調をを意識して書いたとのこと)。歌詞に共感してしまいます。

曲について語る前に沖縄の歴史を考えてみます。

沖縄のこと

僕は沖縄に行ったことがありません。
しかし、沖縄で起きたことについては知っています。

沖縄(諸島含む)という地域は、地形上、周辺の各国や諸藩との交流が盛んにおこなわれていて、それが、独自の文化・芸術を生み出し、、つまり、ある意味では時代(周辺地域の歴史)の奔流に巻き込まれてきた側面もあり、過去は鹿児島(薩摩藩)、また戦後はアメリカの影響下にありました。日本に復帰したしたのは1972年ですから最近のこと。

復帰したとはいえ、前線基地としての機能面を重視され、アメリカ軍駐留は続いていて、ミスチルのメンバーが沖縄を初めて訪れた1994年でも「それがまるで日本の縮図であるかのようにアメリカに囲まれていた」と「物悲しく思えた」状況だったということですね。。

歌詞の意味

その沖縄を訪れた桜井さんが書いた歌詞を見ると、

ミンミンと蝉が鳴いていた。それは歓喜の歌かそれとも嘆きのブルースか。あの蝉の声に似たような泣き笑いの歌を奏で僕らは進むとあります。

それは歓喜の歌か、嘆きのブルースか?どちらか。

嘆きのブルース。

アメリカ南部に連れてこられた黒人奴隷が労働作業中に、日常の嘆きを歌にして歌ったら、、、、これがブルーズのルーツとなります。

教会で祖国を思いながら嘆きを祈りに変えて歌ったら、、、、これが黒人霊歌となり、ゴスペルのルーツになります。

そして南北戦争後、軍楽隊が捨てていった楽器を手にし、日ごろの不満や哀しみや祖国への思いといった嘆きを込めて演奏を始めたら、、、、これがジャズのルーツになります。

この黒人主体の音楽とカントリーなど白人主体の音楽が、とある人物の中で融合されることでロックンロールになっていくわけです。

嘆きのブルースとは言いえて妙というやつで、沖縄の歴史には、歓喜の瞬間もあったし、嘆きの瞬間もあって。

ミスチルの歴史にもそういう側面があったのかなと。

30代の悩み

圧倒的な歴史を目の当たりにしてしまうと自分の存在がなんと小さいものかと感じてしまうこともあるでしょう。でも悩むことができるということは生きている証でもあり、そのつながりが自分史になっていく。

彼らが沖縄を訪れたときに感じたことをストレートに書いた歌詞にものすごく共感する部分が多くて、彼らのインタビューを読んだわけでもないのですがいろんな解釈が自然と浮かんできました。

共感と自己解釈

この二つがあるとき、それは何かにはまるパターンですね。。

きっと僕もいつの日か沖縄に行くことになるのでしょう。その時も、沖縄はアメリカに囲まれているのでしょう。でも、おそらくは、40代になった自分は、感傷に浸ることもなく、歴史の事実を受け止められるのだろうと。そのミライのことを想像しつつ、、

愛する人たちと愛してくれた人たちと世界一の酒を飲み交わしたというくだりは、歴史を受け止めた先にある世界なのだと感じます。

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