「関白宣言」 さだまさし
ドラマは世を映す鏡
向田邦子さんがドラマの原作を手掛けるようになったのは70年代の初めごろから。向田さんのシナリオは、「いくつになっても、いつまでも幼い男性への眼差し」の視点があったように思います。
向田さんは1980年に亡くなります。70年代が最後の10年。その時のドラマはwikipediaによると以下の通り。✳︎一部です。
『パパと呼ばないで』(1972年)
『時間ですよ』第3シリーズ(1973年)
『寺内貫太郎一家』(1974年)
『時間ですよ・昭和元年』(1974年)
『だいこんの花』第4シリーズ(1974年)
『寺内貫太郎一家2』(1975年)
『七色とんがらし』(1976年)
『冬の運動会』(1977年)
『だいこんの花』第5シリーズ(1977年)
『せい子宙太郎‐忍宿借夫婦巷談』(1977年)
『家族熱』(1978年)
『阿修羅のごとく』(1979年)
『家族サーカス』(1979年)
『源氏物語』(1980年)
『あ・うん』(1980年)
『幸福』(1980年)
『寺内貫太郎一家』は、小林亜星扮する鬼親父が有名。癇癪もちで、ちょっとしたことで怒りをあらわにする。でも家族をとても愛していて憎めない下町の親父という、今でいうホームドラマのさきがけのようなもの。
『阿修羅のごとく』では、逆に視点が女性になっていて、女性視点からみた当時の家族が描かれています。ここでの男性の描かれ方が、向田さんの晩年の主題だと思うのです。男性社会だが、男性は情けなくもあり、いつまでも大人になりきれていなくもあり。
この時代に女性視点でのシナリオを描いていて、誰もが共感できる内容だったんですね。
ドラマは世を映す鏡とも言います。1980年になろうという時期も、まだまだ、社会も、企業も、家庭も、男性中心の社会でした。
✴︎男女雇用機会均等法が制定されるのは1985年のこと。
そんな時代に発表されたのが「関白宣言」。
関白宣言の本当のメッセージ
男性社会にあって、亭主関白を描いたこの曲の本当のメッセージは最後の最後にちょっとだけ描かれています。
一部引用いたしますと、
お前のお陰でいい人生だったと
俺が言うから
忘れてくれるな 俺の愛する女は
生涯お前ひとり
歴史に見る家父長制
歴史を紐解くと、もともと家父長が強力な権限を持っていたのは、何も大昔からの事ではないようです。
狩猟社会ではなく、農業社会では人手こそが重要で、そこに男女の区別はなかったとも言います。家父長制のようなものができてきたのは、天皇制度を明確に打ち出していった明治政府の方針だったようですね。
明治の西洋化で、家庭の在り方も、政府主導で変わってきたのですね。
家父長制が効果を発揮するには、経済(家父長が稼ぐお金がどんどん増える)と家族構成も重要で、いわゆる「サザエさん」的な家であればこそ。戦後次第に核家族化が進み、経済成長も一段落をした1970年代には家父長制度は、緩やかに崩壊に向かっていたとも考えられますね。
そして1985年の壇上雇用機会均等法や、女性の活躍もあり、現在に至るわけですね。
性別を超えた、多様性がやっと認められる社会になってきているとも言えます。
後日、この返答歌のような、さだまさしさんの「関白失脚」に見る父権の喪失について書いてみようと思います。
◆今回は、以前いただいていた、食彩アドコムさまからのリクエストでした。(再掲いたしました)
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