ロックンロールは一人の青年が母親を想う気持ちから生まれた ~ エルヴィス・プレスリー 【再掲】60年代の音楽シーンを辿る旅Vol.1
1953年
1953年。ある夏の日の出来事。
ある青年が自分の母へのプレゼントに自分の歌を吹き込んだレコードを贈ろうと思い立ち、メンフィスという街の、とあるスタジオを訪れる。
彼はメンフィスの電気会社に勤める青年。ハイスクールで賞を勝ち取るなど歌が得意だった彼は、その夏に元気がない大切な母親のことを気にしていた。彼が働きに出たことで一人息子と過ごす時間が短くなったこともその遠因だっただろう。
「そうだ、僕の歌をママにプレゼントしよう。仕事で家を留守にしている間も僕の歌声を聞くことができる様に。そうして、寂しさを募らせない様に。元気になってくれる様に。」
そして青年は4曲を録音した。
そしてこの事実が世界を変えた。
1954年
前年のレコーディングの際、スタジオ創業者サム・フィリップスは、青年の歌声に何事かを感じていた。
ある種の直感のような決断をし、再度、彼をスタジオに呼ぶことにした。
青年は、スタジオで手持ち無沙汰だったのか、遊び心だったのか、即興で「That's all Right, Mama」という曲を歌い始めた。
適度にスイングするリズムに、彼の歌声が重なって響く。
サムは、再び彼の鋭敏な直感がそうさせたのだろうか、ここでも何事かを感じとり、急いで録音ボタンを押した。そうして、この「That's All Right (Mama)」という曲がレコーディングされた。
ある意味、行き当たりばったりに録音された1枚のレコードが音楽の歴史を変えることになった。
この歌を歌った青年の名前は、エルヴィス・プレスリー。
彼の歌声は、瞬く間に世界に広がっていく。
そう、それはロックンロールというジャンルが生まれた瞬間だった。
英国の片田舎でのさらなる伝説の誕生のきっかけ
1955年。
英国の片田舎。
その少年は多感な15歳という時期を迎えようとしていた。幼少期の傷を何処かに押し隠したまま。
彼はアメリカから輸入された気持ちを激しく昂らせるロックンロールなる音楽に即座に魅了された。そして楽器を手にいれた。
1957年。
同じ街に住むもう1人の少年も、多感な15歳という時期を迎えようとしていた。彼もまた、ロックンロールに魅了されていった。
出会いがあった。
1955年に15歳という人生の転換期を過ごしていた少年は、この年、彼にとって最初のバンド「クオリーメン」を結成し、2歳年下のこの少年を誘う。秘められた音楽的才能にひかれたのだろうか。いや、お互いが何かしらの直感でひかれあったのだろう。
この出会いもまた、音楽史を大きく変えていくことになった。
2歳年上の少年の名はジョン・レノン。
もう1人の少年の名はポール・マッカートニー。
ビートルズの原型がここにできあがった。
伝説がさらなる伝説を生んだ。
アメリカとイギリスで。
これは時代の采配、神の采配とも言える。
ジョンとポールが15歳という年齢を迎えるときに、タイミングを合わせたかの様にエルヴィスの音楽、ロックンロールが英国を直撃したという事実。この時空を超えた偶然は、なんとも言えない神秘的な魅力に溢れている。
幸せを願う気持ちからロックンロールが生まれた
エルヴィスが商業的にデビューすることになった楽曲。
「That's All Right(Mama) 」
この曲は、図らずも当初このレコードスタジオを訪れた目的、自分の愛する母親のために、、という気持ちに叶うタイトルとなっている。内容は、「街を出ていくけど心配いらないよ」というものなのだけど。ここにも、偶然の符号の面白さを感じてしまう。
また、ロックンロールが生まれた背景には、とある田舎の青年が実の母を想う気持ちがあったといえる。この「誰かを幸せにしたい」という気持ちからロックが生まれたという事実には、このことを思い起こすたびに、なんとも言えず「幸せな気分」にさせられる。
エルヴィスは、「That's All Right(Mama) 」のほかに、4曲をレコーディングし、母親にプレゼントしている。
その4曲の内の1曲のタイトル。それは、、
「My Happiness」だった。
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