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あなたが僕を知ってくれている。という「安心感」 〜 「君が僕を知ってる」 RCサクセション、忌野清志郎

見知らぬグループに溶け込んでいくのが苦手です。

そもそも、どんなシチュエーションでそういう場面に出くわすかというと、たとえば小規模ワークショップ。トータル20名くらいが4-5人に別れ、机に座っているというやつだ。

あれがとても苦手。
過度な人見知りということではないのですが、何を話していいやら、、とても気になってしまい、落ち着かないんです。

これは、大げさに言うならば、新しい街に引っ越した時もそうかもしれないですね。新しいマンションとか。マンションならば管理組合やら隣の方との関係性がありますし、街ならば近所の方々や町内会とのお付き合いもあるでしょう。あたらしい職場も同じかもしれない。

やはり振り返ってみると、こういう場面での人間関係構築は、やや苦手な領域に属していて、親しくなるにしても、ちょっと時間がかかります。

無論、それをネガティブには、捉えてはいませんし、自分はそういう性質なんだと自己理解を深めるきっかけになったので、むしろポジティブな体験だと思っています。

でも、ふと思ったことがあって。
実際そういうことがあったからでもあるんですけど。

この見知らぬ(と思っている)グループに、自分のことを知っていてくれる人がいた場合。そんな人がたった一人、いてくれただけでも、この「中に入っていきにくいマインド」という状況は激変します。

それくらい、「自分のことを知ってくれている人の存在」というのは大きい。

僕にとっての、その一人とは、結構いろいろ相談したりしていて、割と親しくなった感があり、楽しく会話のできる方でした。とあるワークショップで所在なさげにしていたとき、「僕もその人を知っていて」、「その人も僕を知っている」という存在がいてくれるだけで、その場所はとても快適な空間になりました。

それはどういうことか??、と、考えてみると、そもそも人は一人では生きていけませんから、つながりがあることでの「安心感」でしょう。

人は古来より、農耕であれ、狩猟であれ、集団生活をして社会を維持してきたので、細胞レベルにまで、「誰かといることでの安心感」が刷り込まれているのでしょう。

そして、もう一つは「信頼感」でしょうか。

お互いがお互いを知っているという関係が、ある程度深まると、そこには「信頼感」が自然と醸成されているものと思います。

その人を信頼しているからこそ、そして、その人から信頼されているからこそ、「安心感」が生まれるのかもしれませんね。

RCサクセション、忌野清志郎が残したこの楽曲は、両想いにせよ、片思いにせよ、大切な誰かに向けたメッセージ。

「僕が君を知っている」
「君が僕を知っている」

改めて、このシンプルで力強い歌詞を眺めてみる。
なんと美しい感情に満ちていることか。

人生の凹凸、様々な経験、体感を経て、今思うのは、大切にしたい誰かを安心させるときに最適なメッセージは、「僕は君を知っている」という投げかけと、「君が僕を知っている」と思える「信頼感」なのだと思います。

大切な誰かのために。この言葉を大切にしていきたい。


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hisataroh358
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