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いつでも四季は巡ってくる 〜 「馬と鹿」 米津玄師
国破れて山河あり
中国の詩人、杜甫の「春望」という漢詩があります。
国破れて 山河在り
城春にして 草木深し
時に感じて 花にも涙をそそぎ
別れを恨んで 鳥にも心を動かす
烽火 三月に連なり
家書 萬金に抵る
渾べて簪に 勝えざらんと欲す
安禄山の反乱の最中、荒れ果てた都・長安との姿と、その周囲にいつもと変わらないまま在る大いなる自然の対比を観て詠まれたものです。
(中国の唐の時代、平和に慣れきっていた玄宗皇帝に対して、配下の安禄山が大規模な反乱をおこしました。その戦乱(内乱)は10年近く続き、唐の衰退の直接的なきっかけとなりました。そのくらいの規模の反乱であったということです。)
詩の大意は、
国は、途方もなく荒れ果ててしまった。しかし、大自然、山はただただそこにあり、大河は悠久の流れを維持している。大自然の前では人間の営みなど小さなものだ。自然と春が訪れ、草木が芽生えて来た。
なんと人間は愚かなのだろうか。戦乱が始まってからの時の流れに虚しさを感じ、春の花を見ても心は癒されない。家族とも離れ離れになってしまった。鳥の鳴き声にさえも心をぎゅっと鷲掴みにされる。戦乱はしばらく続き、家族からたまに届く便りはものすごく貴重なものに感じる。もう戦乱と人間の愚かさに、心身ともに疲れてしまった。簪(かんざし)を指す毛髪も抜け落ちてしまっているくらいだ。
国は荒廃してしまった。
しかし自然はその姿を変えず、四季は巡ってくるという、変わるものと変わらないものの対比をしています。そして、人間とはなんと愚かなものであろうかという戒めでもあります。
愛破れて山河あり
春になろうという時期。これから草木も芽生え、冬のモノトーンから一気に世界は彩りを取り戻す。自然はいつも、春を迎えさせてくれる。それはとても暖かいものだ。
でもどうだ、自分の心の内は。
暖かな春はすぐそこに来ているのに、心は歪み、耐えきれない痛みが体を貫く。あえてその痛みと、つらい過去と向き合いながらどこまでも歩く。
諦めきれない思いを抱えたまま。どこまでも。そして気がつくのだ。
これが愛じゃなければなんと呼ぶのか
僕はしらなかった
これは「愛」という感情だったのだ。あなたを愛してしまっていたのだ。
記憶の中で、あなたの匂いが鼻先をかすめる。思わず息をのむ。まだ愛しているのだと気がつく。もう少し気がつくのが早ければ、時の流れが遅かったならば。
なんと自分は愚かなのか。愛という感情に気がつかなかった。痛みを抱えて生きていく、この過ちを忘れぬため。
——-
愛は破れました。自暴自棄になって、あてもなく彷徨った日々も、決して無駄なことではない。彼の心は荒れ果てているが、悠久の自然は今も変わらずそこに在る。春が自然とやってくるように、彼自身にもきっと暖かい季節が巡ってくる。
それは、自分が愚かな存在であることに気がついたから。自分の感情が「愛」と呼ぶものであることにきがついたから。痛みをごまかさず、向き合うことを選んだから。
自分が「馬鹿」であることに気がついたから。
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