ラジオが人生の友だった時代 ~ 「壊れかけのラジオ」 徳永英明
ラジオが人生の友だった時代がありました。
今は、誰もがスマホで情報にアクセスし、音楽を聞き、電子文章が飛び交います。
今を遡ること数十年前。
1970年代〜1990年代。10代の青年が自室で楽しんでいたのはラジオでした。
インターネットがない時代、この媒体に双方向性をもたらしていたのは、葉書の投稿と、DJがそれを読み上げるという儀式。どれだけ多くの葉書が行き交っていたのでしょうか。それだけ多くのリクエストや、悩み相談が葉書を介して飛び交っていました。
当時の若者は、そこから多くの楽曲と出会い、人生を学んでいった。
そう、ラジオは人生の友であると同時に、人生の師でもあったのではないでしょうか。
壊れかけのラジオ
少年の殻を脱ぎ捨てて、人は大人になっていく。壊れかけのラジオとは、幼かった自分脱ぎ捨てた殻の象徴でしょう。
人は誰でも少年から大人になる。誰かと出会い、恋をして、背伸びをしてギターを弾いてみたり。そんな淡い思い出もすべて大人への道行案内人のようなもの。
大人になってから、ふと振り返る時がある。
都会の喧騒の中で、あのとき聞いていたラジオを思い出す。もう壊れかけて聞こえないラジオ。大人だって完璧ではない。生き方に迷うこともある。誰かにすがりたい時もある。本当の幸せを教えて欲しいと願う。
でも、ラジオは壊れかけている。答えてはくれない。あの時のような儀式もできないし、あの時代に戻ることもできない。前を向いて進んでいくしかない。
本当の幸せを探す旅。
そしてそんな経験が、人を成長させる。
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