自転車さえあれば、どこへでも行けた ~ 「夏色」ゆず。 自転車✖︎音楽
自転車さえあれば、どこへでも行けた。
地元北海道の田舎町は、いわゆる「何もない、がある」場所だった。
しかし、改めて考えてみると、それはやはりある程度「何かがある」場所を経験・体験したした目で見てこその「何もない、がある」だったと思う。
そうでないと、「何もない、がある」に価値は見いだせないような気がする。
高校卒業まで過ごした、その「何もない、がある」田舎町は正直退屈な町だった。今でこそ「何かがある」場所を体験したので、あの町に「何もない、がある」を見出すことは容易だ。ただ、外部を知らない若者には、ただただ変わらぬ風景がそこに在り続けるだけの場所だった。
そんな退屈を抜け出す方法は、今いる場所から遠くに行くことだった。
20キロ先には海水浴場があり、海水浴場の数キロ先には遮るものがなにもない「ただただ日本海を遠くまで見渡せる」絶景ポイントがあった。
反対方向に向かえば、圧倒的な木々が出迎えてくれる。ちょっとその中に入り込むだけで、山菜もとれるし、釣りもできた。
そしてそれらの場所は、深夜に様相を変える。「人生は感動なり」という言葉が浮かぶような、圧倒的な星空に覆われるのだ。
そう、自転車さえあれば、どんな場所にも行けた。退屈な町、退屈な日常から抜け出して、感動を体験しに行けた。
そんな自転車と創り上げた物語。
運動神経があまりよくない少年は、自転車という乗り物に恐怖を感じていた。なぜ車輪が2つしかないのに転ばないのか?という問いを発するには小学生中学年まで待たないといけなかったが、そういった類の気持ちに支配されていた。
そこで父は一計を講じたのだろう。
当時流行っていた仮面ライダー「スカイライダー」のヘッド付きの自転車を買ってきたのだ。あのままの状態で残っていたらどれくらいの鑑定になるのかと考えるのはもっと大人になってからのことだが、あの自転車は少年にとっては、それまで見てきたもの、手にしてきたものの中で一番価値のあるものだった。
その自転車に乗るということは、スカイライダーになることに等しいのだ。補助輪はすぐに無用の長物となり、少年は自転車の運転には運動神経は関係ないということを証明した。いつもスカイライダーになったつもりで風を感じていた。
少年と自転車との出会った瞬間だった。
1993年、北海道南西部を大きな地震が襲った。いわゆる南西沖地震と呼ばれる地震だ。青年の家も震度6(当時田舎町には記録計が設置されていなかったようで、公式には離れた地域の震度からの想定で震度5となっているが、そんなものではなかった。)に見舞われたが、その地震の中でも驚いたのは、津波だった。
20キロ離れた海水浴場にも津波が押し寄せ、沿岸の住宅を洗い流してしまった。その場所の遥か対岸にある奥尻島の被災は良く知られるところである。
道路はあちこちで陥没が進み、畑も液状化、橋げたも10センチほど盛り上がり、沿岸部では波を横に受けたバスが傾いて民家に寄りかかっていた。
当時通っていた高校は、地元の町から7キロほど海岸の町方向に進んだ場所にあり、通学路も当然陥没があちこちに見られた。陥没といっても生半可な物ではなく、人の背丈以上陥没しているのだ。陥没せずに残っているのは30センチほど。
その道を、自転車を駆って学校まで通った。そして、被害を受けた場所にも何度か自転車で通った。特に何かができるわけではなかったが、その現場を見ておきたかった。見ておくことで何かを感じておきたかったのかもしれない。
自転車を走らせると当然風を感じる。あの時期、風がいつもとは違い、湿り気があり、それは潮の匂いだった。潮の匂いが沿岸の町に充満していた。対岸の島から目に見えない何事かが漂って、こちら側にも到達しているような気がした。
青年が自転車を通してちょっとだけ成長した瞬間だった。
横浜の大学時代、1997-8年にヒットした曲を聞くと、あの大学時代を思い出す。
あの時代、aiko、椎名林檎、coccoと個性的なアーチストが同時多発的に出てきていた。
振り返ってみれば、個性の復権だろう。氷室京介や布袋、nokko、忌野清志郎という個性満載のメンバーがいたバンドが去った後、訪れたのがバンドブーム。
これ自体は良いのだが、どのバンドも俯瞰してみると音としての個性は際立っていなかった(音楽が際立っていたのは少数)。
経済が豊かになり、誰もが楽器を手にすることができるようになったことで個性がなくなった。ブームとはそういうものなのだろう。
その状況へのアンチテーゼが、aikoや椎名林檎、coccoだったのだろう。
さて、大学1年時代。通っていた大学は坂の多い場所にあった。自転車は当時もよき相棒だった。
あの街を、あの坂を、よく二人乗りをして駆け抜けていた。
ブレーキをかけながらゆっくり坂道を下っていく。君を自転車のうしろにのせて。風がやさしく頬を伝う。
あの時期、就職なんてまだまだ先。一人暮らしの寂しさからも抜け出して、僕たちは穏やかな街並みを駆け抜けていた。時間は永遠に僕たちの味方だった。無邪気な若者二人を風が包んでいた。
僕たちは坂を下っていった。ゆっくりゆっくり、やわらかな風を感じながら。
坂の多いあの町を思い起こすとき、真っ先に浮かぶのは、あの時感じていた風の匂い。そして後ろに乗せていた人との懐かしい思い出。
若者が自転車を介して恋をした瞬間だった。
あの頃、自転車さえあれば、どこへでも行けた。少年の成長を彩ってきた自転車は、もういない。でもそれは記憶の中を、風を感じさせながら、いつまでも駆け抜けている。