【再掲】60年代の音楽シーンを辿る旅 Vol.5 〜 ジミ・ヘンドリクスによる音楽の創造とビートルズの終焉
Star Spangled Banner
1969年8月。
伝説的なギタリストが伝説的な演奏をした日。
歪みまくったアメリカ国歌。これは、米軍の北ベトナム爆撃への意見表明だったようです。この曲が奏でられたのが、あの「ウッドストック・フェスティバル」です。平和の祭典とも言われていたフェスです。
ジョン・レノンのラブ&ピースや、このフェスの俗称など、音楽に合わせて愛と平和が語られ始めていたのが60年代後半の世相でした。
この世相は67年ごろから自然発生的に始まっていたサマー・オブ・ラブというムーブメントからはじまります。
All You Need is Love
67年、ビートルズはもともとベトナム戦争に反対の姿勢を表明していました。その姿勢を真正面から楽曲で表したのがこの曲です。
「必要なものは愛なんだ」
という、シンプルなメッセージは24カ国で同時中継され世界に広まっていきました。
そして、サマー・オブ・ラブというヒッピーの反体制ムーブメントなど、自由を望むカウンターカルチャーの代表曲にもなっていきます。
このムーブメントはサンフランシスコ界隈で広がっていったようです。有名なのがスコット・マッケンジーの「San Francisco (Be Sure to Wear Flowers in Your Hair)」
「サンフランシスコにいくなら髪に花をつけて、、、」
というメッセージからこのムーブメントは、フラワームーブメントともよばれます。
この楽曲がきっかけとなったようですが、当時のファッションには花をモチーフとしたものが多くみられます。
また、同様に、花をモチーフとした楽曲もリバイバルヒットしています。
「武器よりも花を手にして」
というメッセージです
こんな風に見てみると、「必要なものは愛であり、武器を花(=愛)に持ち替えて、その花を髪にさして、、」と、花は愛の象徴にもなっていたのですね。
根強い人種問題
こういったムーブメントの中、68年にキング牧師が暗殺されます。マルコムxも同様に。ケネディ兄弟から続く連鎖が止まらない状況でした。
そんな米国では、黒人というだけで正当な評価を得られないこともあったでしょう。そのためか、後に音楽の歴史を変えることになる伝説的なギタリストは米国ではなく英国に向かいます。そして、英国での演奏が歴史を変えていくことになります。
彼が、ジミ・ヘンドリクスでした。
彼の演奏は彼の魂をそのままぶつけたものだと思います。これは聴くというよりは感じるべき音だと思います。
彼の音楽は、ライブ盤を少し大きめの音で聴き流しながら、ちょっとした瞬間に耳に残るフレーズに出会えたら、今度はその箇所やその曲を繰り返しかけてみる。そんなふうに、感じていくのが彼の楽曲なのだと思います。彼の魂のこもった音はそういう種別の音なのだと思います。
そんな演奏をする男が、英国で、ありったけの感情をぶつけた。
となると、それに心を動かされた人物が出てきてもおかしくありません。
エリック・クラプトン、ジェフ・ベック、そしてジミー・ペイジ。
日本のみで通じる呼称「3大ギタリスト」と呼ばれる3名は、この経験から、何事かをつかみ(あるいは心を奪われ)それぞれが、この米国の音に、英国風味をまぶして、英国音楽を改変していきます。
この結実が、ジミー・ペイジのレッド・ツェッペリンです。
モンタレーポップフェスティバル
さて、ジミが彼の魂を音に込めて、多くのミュージシャンに影響を与えた背景にはテクノロジーの進化があります。
いわゆるアンプの飛躍的な改善です。その結果、彼の魂がこもった音を大音量で、かつ、遠くまで伝えることが可能になりました。
あらゆる女性ロックシンガー(Superfly、椎名林檎、シーナ&ザ・ロケッツなど)の原型とも言えるジャニス・ジョプリンは、その荒削りなエモーショナルな声を遥か遠くまで、轟かせ、観客の心を撃ち抜いていったわけです。
彼らがアメリカで世に認められるきっかけとなったのがモンタレーポップフェスティバルです。(この時は、まだロックフェスではなく、ポップフェス)
ここで、ジミはギターを燃やすといった圧倒的なパフォーマンスで時の人となります。
このフェスは1967年開催。
ジミをこのフェスに出演させるために、ポール・マッカトニーが動いていたようです。
ポールのメロディセンス
67年以降、ビートルズは、名前は存在しているが、もはや各メンバーの個別の集合体のようなものでした。
ジョンはヨーコさんとの出会いから東洋の文化に触れ、自己の内面を見つめる旅に出ていきますし、ジョージはインド探訪からジョンとは違った意味で東洋の文化に触れていき、シタールやインド風の音を楽曲に取り入れていきます。
こんな状態の中、69年「レットイットビー」というアルバムの制作過程を追ったドキュメント、いわゆるゲットバックセッションの撮影が開始されます。もはや解散状態とも言える状態でポールからジョージへの独善的なものの言い方なども撮影されています。
この流れで開催されたいわゆる「ルーフトップコンサート」は完全なビートルズのラストライブとして記録されることになります。
そんなポールですが、60年代後半、地球が存在する限り残り続けるであろう伝説的な楽曲を作り上げるなど、そのメロディ、ポップセンスにさらに磨きをかけていきます。
「Black Bird」「I Will 」「Ob La Di Ob La Da」「Hey Jude」そして「Let It Be」
消えゆく蝋燭の最後のきらめきだったのでしょうか。開花したメロディセンスはソロ時代にも受け継がれていきます。
60年代の終わり
そんな60年代は、大いなる喪失で幕を閉じます。言い換えると70年代は大いなる喪失で幕を開けたとも言えます。
ビートルズのラストアルバム「アビーロード」は、細切れの楽曲をポールが独自でまとめ上げたもので、後半のメドレーの美しさ、特にラスト数曲は言葉にならない美学に溢れています。このメドレーの最後は、ポールらしく「The End」という曲で締めくくられています。
ビートルズは70年代に時代が切り替わる頃にその存在を終えていきます。
そして、ジミ・ヘンドリクス。彼もまた、70年代に時代が切り替わる頃にその生涯を終えていきます。
享年27歳。
大いなる伝説が消えていった後には遺伝子がたしかに残っていました。
ジミが持ち込んだブルーズから誕生したエリック・クラプトンの「レイラ」、前述のレッド・ツェッペリンもそうですし、西洋音階とジャズの融合とも言えるプログレッシブ・ロックもそうです。こういった遺伝子のつながり、、生命の繋がりのようにも思える連鎖が現代まで続いていくことになります。
そして、世は70年代を迎えていきます。
最後に、、60年代の名残をこの曲と共に。
David Bowie , All the Young Dudes
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