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「私なら、大丈夫」の根拠

2月末、茨城に帰省。スカイマークが「いばらき乗らねば〜キャンペーン」をしていて、運賃がめちゃ安くなっていた。往復で、いつもの片道分くらいだった。ありがたい。

すでに完売。

実家で過ごす。

なんにもしない。

仕事を辞めて、約2ヶ月経つ。

やっと心が休まった。

本当にありがたかった。

去年からずっと、よく眠れなかった。眠れるけれど、眠れていない。毎晩、悪夢をみる。朝起きると、身体(特に背中)が痛くて、気持ちよく朝を迎えることは、なかった。

いろいろなことがあったから、眠りにくい原因はだいたい見当がついた。だから、仕事を辞めた。

仕事を辞めたら、快眠かといえば、そうでもなかった。退職後も、同じ。年末年始に実家に帰っても、同じだった。

無職になったことで、これからの不安があるからかな。まだ緊張が抜けていないからかな。いろいろ理由を考えてみる。自分で自分にかけている圧力。監視の目。こちらもいろいろ見当はついた。

ゆるめてみようとしても、これまで身につけてきた思考の癖が、私を守ろうとして、ゆるめることを阻む。ゆるんだら、自分がどうなってしまうのか、分からないから。

未来は、わからない。

だけど、私なら大丈夫。

私なら、大丈夫。

その自信は、ある。根拠のない自信。

それがあれば、大丈夫。

そう思えた。

根拠はないから、やっぱダメだったーってこともあり得るけど。そうなったら、頑張ればいいよ。なんとかなるよ。

家族がいてくれる。
友だちがいてくれる。
利用できる制度だってある。

時間と人が、癒してくれる。

離れて暮らす家族と集まる。
明治神宮で、待ち合わせ。
原宿駅は、新しい駅舎が完成していた。

新しい鳥居。
大御心。

明治神宮に参拝。離れていても、連絡を取れば、こうやって集まれる。私は、それだけで嬉しい。

参拝後は、レストラン「よよぎ」で、おひるごはん。

ビーフシチューオムライス

ごはんを食べて、急遽、弟の家へ行くことに。私の提案を拒否できず、ムリしているのかなと心配になったけど、何度確認しても大丈夫って言うから、行くことに。(大丈夫って言わせちゃったのかもしれないけど。ごめんね。)

両親は、弟の車で向かう。
私と妹は、千代田線と小田急線に乗って行く。

普段なら行かない場所に行くのは、わくわくする。知らない駅で降りるのも、わくわくする。

弟は何度も、駅から案外遠いから、車で迎えに行けるよと提案してくれたのに、私は歩いて行くと提案を拒否。弟のあの顔は、きっと呆れていたと思うけど、いいのだ。

ウルトラマン!
駅前商店街を歩く。
オオゼキで買い物。

妹と歩きながら、ずっと伝えたかったことを伝えてみる。

2021年に内観療法を受けた時に、母、父、妹に対して、内観を行った。妹に対して内観した時に、わかったこと。私が妹に、どんなに酷い事を言ったり、酷い事をしても、妹は私を恨んだり、反撃したり、拒否したりせず、逆にむしろ慕ってくれているということ。謝っても謝りきれないし、慕ってくれていることには、感謝しかない。

その事を、ずっと伝えたかった。

妹と歩きながら、その事を伝える。

謝罪と感謝。

そして、なんで許してくれているのかを聞いてみた。ずっと謎で不思議だったから。

妹は「(私がした酷い事を)覚えてない」と答えた。

本当か嘘かは分からない。辛い記憶すぎて、思い出せなくなっているのかもしれない。優しいから、気を遣ってくれたのかもしれない。

それでも、その言葉を間に受けるなら。

案外、人は覚えていないものなのかもしれない。

私は小さい頃の記憶がある。もちろん、忘れている事もあるけれど、覚えている事が多い。

だけど、妹も両親も、覚えていないことが案外ある。

過去のことを気に病んで、自分を責め続ける必要はないのかもしれない。同じ事を繰り返さない。それが、私がするべきこと。

謝ることができて、よかった。

弟宅に到着して、オオゼキで買ったデコポンを食べる。弟にも謝りたいことがあった。

もう10年以上前。私が、掛け持ちで仕事をしていた時期。有給をうまく使う発想がなくて、休みなく働いていた頃。自分の時間管理の下手さが原因で、月2日しか休日がない事もあった。あの頃の自分に、有給を使って休めるよと伝えてあげたい。

夜勤の仕事を終えて、寝ていた時。

弟がドラムの練習を始めた。

最初は我慢していた。だけど、だんだん苛々してきて、ついに我慢できなくて、弟の部屋に行き、暴言を吐いた。暴言の内容は覚えてないけれど、「うるさい!やめろ!」的なことを言ったと思う。

その時の弟の表情。悲しみとも困惑とも言えない表情をさせてしまった。せっかくドラムの練習に励み、楽しんでいたのに、私がそれをぶち壊してしまった。

ずっとそれが心に引っかかっていた。

あの時のことを、弟に謝る。

弟は「あー」と言って、謝罪を受け取ってくれた。あの時と同じような表情。

私がドラム練習を止めろと暴言を吐いたことを覚えているか、聞いてみる。妹は覚えてなかったし。

弟「覚えてる。」

あ、そうでしたか。改めて謝る。ごめんね。

こうやって謝る事ができて、救われた。

弟宅からの帰り道。きちんと謝れただろうかと反省する。私の罪はまだまだある。謝れていないこともある。だからこそ、いまの私ができることを、いま、家族にする。それが、家族への罪滅ぼしだ。それが終わることは、たぶん、ない。

思い返せば、私は酷い姉だったのに、こうやって家族に救われている。本当にありがたい。

これまで受けた愛を、私も、家族や私のまわりにいてくれる人たちに送る。それが私にできること。

家族とゆっくり過ごしていたら、悪夢や朝起きた時の身体の痛みが減っていることに気づく。だいぶ安心して、心が鎮まって、ゆったりしている。眠れるようになっている。

2月の茨城は寒い。両親が、布団に入れてくれる湯たんぽも、あったかくて、愛の塊みたいで、嬉しかったのもある。

自分でゆるめようとしても、ゆるまらなかった。
誰かのおかげで、ゆるむこともある。

ひとりでなんとかしようとしない。

それが大事なのかもしれない。

ひとりでなんとかしようとしても、結局、誰かに世話になっている。ひとりでなんとかしているつもりで、絶対、誰かに世話になっている。

私なら、大丈夫。

その根拠のない自信は「私には頼れる人たちがいるから、大丈夫。」ってことなんだ。

だから、やっぱり、大丈夫だ。

「時間」と「人」と「美味しいもの」。

それが、私に元気をくれる。

「うまい めんくい亭」の味噌ラーメン。
「ノースランド」の手作りハンバーグ。
「かんのや」ゆべしLOVE。

茨城から沖縄に戻ってきてから、なぜかお腹が空くようになった。眠れるようになったから、食欲が戻ってきたのかな。元気になってきたのかな。うれしい。

寝て、食べて、話そう。

元気になったら、また動き出せる。

私のまわりにいてくれる皆さま。
これからも、何卒よろしくお願いします。

私なら、大丈夫!

さくらに、いつも癒されています。
福寿草。
ごろーん。

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