内観療法、やってみた(3)
【13】面接者は、余計なことは話さない。評価も、深める為の誘導もしない。刺激もしない。内観者本人が、もう調べているから。同じ質問を問うのみ。場を提供し、食事や風呂の世話をする。面接時に丁寧に礼をし、手を合わせる。内観者を目の前に現れた神か仏かのように接し、世話をしているかのよう。
ある意味で、誰もが神である、と思う。
6日目の音声テープでも「ここにいるのは、神とあなただけだ。」という修行中の瞑想者の発言が取り扱われていて、やはり、行き着く先は、そこなんだ、と面白かった。宗教もスピリチュアルも同じ場所に辿り着く。自分との対話、神との対話、大いなる存在との対話。みんな一緒。おもしろいし、新しさはないからこそ、真理なのかもしれない。なんか、嬉しかった。
関わっている人に関わっているのではない。
関わっている人の神様の手を見ている。
神様、仏様と関わっている。
仏様との対話=内観=自分のと対話
神様=自分
他者=神様
他者=自分
結局は、そうなる。
内観は、人間の矯正とか、反省ではない。
内観は、神との対話。
だいぶ怪しい内容の文章になってるなー。
私は私の問題に取り組めばいい。
他人は関係ない。
集中内観後、内観研修所の方に、うるま市まで車で送ってもらった。一緒に集中内観を受けていた方も同乗していて、帰りの車中はフォローアップのような、感想や質問を話す時間となって、とても良かった。その中で、音声テープは、それぞれの内観者に必要な内容を選んで、渡されていたことを知らされる。
この、神と自分しかいないという内容。
私しか聴いてなかった。
おもしろいなー。ほんと。
洗脳されたくないと思っていた音声テープ。この神の話の他には、編集を変えて何度か同じ内容だったりして、またかよ、って思ってたけど、やはり、私を洗脳するために選ばれた内容だったのだ。
内観が深まらず、抵抗の強い私に向けた内容。
それにより、より抵抗を強める私。悪循環…笑
どんな内容も必要だから、くり返される。
どんなことも、必要だから、くり返される。
全てはベストタイミング!
【14】偏食の私にとって、毎回の食事を残さず食べることが一番の修行だった。
【15】屏風の中にいることが内観中にやることだから、ここにいることはそれほど苦痛ではなくて、この不安感のようなものは、掃除の仕方だったり、何か失礼なことや、恥をかきたくないとか、ダメなやつだと思われたくないといった要因なのだと思う。他者に評価されたい。気に入られたい。自分がみえてくる。屏風の中で見えてくるもの。いろいろと説明が足りないと不満を感じたけれど、それは大切にされたいという欲であったり、私の依存心なんだろうな、と思う。
内観についての説明は、トイレや壁の掲示物に書かれている。ここは、内観をする場だからこそ、内観の説明はあるけれど、それ以外は主ではないということ。主題をずらさない、という配慮とも言える。
そんなことを考えて、内観の3つの質問を調べることをサボり、主題から意識がズレていた2日目の私。
【16】「食うな、動くな、寝てろ。」体調不良の時の過ごし方として、私が好きな過ごし方。この原則からいうと、屏風の中でじっとしていることで、何かが治癒していく効果もあるのかもしれない。三食食べてるから、消化にエネルギー取られてるけど(2日目のメモ)。
【17】手のかからない良い子になる為には、そうなるまでに手がかかっている。
【18】お世話になったこと ≒ ご迷惑をかけたこと。
これが混ざって、なかなか区別が出来なかった。人に迷惑をかけたことがない人は、いない。1%の迷惑を調べる。そしたら、全部迷惑かけてる。これも混乱の要因のひとつ。
【19】屏風内の広さは、半畳。足が伸ばせないのは、ちょっと窮屈だった。屏風内の広さは一緒だけど、身体の大きさはさまざま。身体の大きい人や足の長い人は、より窮屈で大変かも。
【20】両親に養育してもらったことへの感謝と共に、世話を"させてやった"という驕りに気づく。私の事実のひとつ。成人しても、ずっと実家で暮らしていたのは、私の世話をすることで、親の暇を埋めて、やることを与えていた、という恩着せがましく、自分に都合の良い考え方をしていた。傲慢さ、半端ない。
【21】ひとはひとりで生きた方が楽なのかもしれない。相手を思い通りにしたいとか、期待を裏切られてがっかりすることもないし。でも、ひとりでは同じことのくり返しで刺激も少なく、発展しないから、ひとりでいることは自分の可能性を狭めるのかもしれない。相手への期待、自分の欲を無くせば、誰かと一緒にいることは、メリットだけになるのかも。こうやって内観に辿り着いたように、どこでどの道につながるかは、人との出会いによるものが大きいから、やっぱり人とつながるのは大切。どの程度の頻度、濃度で交流するかは、選択の余地あり(2日目のメモ)。
【22】私の機嫌は、私がとる。
【23】怨みは、相手を苦しめない。自分と周りを苦しめる。
【24】過去の出来事を、受け入れることで、自分が楽になる。トラウマ治療と一緒。過去は変わらないが、受け取り方、認識が変わると、居方が変わる。思い出しても平気になると、思い出さなくなる。感情を伴う幻想ではなく、事実を見ていく。
【25】相手は自分を満足させる道具ではない。自惚れているから苦しむ。自分を受け入れる。それが、自分もまわりも幸せにする。今、目の前にあるものを味わう。
【26】両親に怒られた記憶がない(注:内観2日目時点)。ゼロってことはないはずだ。私が怒って、両親に嫌な思いをさせたことは、ある。自分が両親にお世話になったことと、かけてきた迷惑と比べたら、私が認めて欲しかった事なんて、ほんとーーーーーにちっぽけで、くだらない。こんな自己中な娘でも、認めて、信頼してくれる両親がいるなら、もう誰かに認めてもらう必要がないじゃないか、と気づく。これに気づけたことが、集中内観を体験して良かったことのひとつ。
【27】自分の視点からは、良い事をしたと思っても、相手からしたら迷惑や負担だったかもしれないという部分を調べていく。いろんな可能性、視点からみていく。
【28】内観するから良い人になれる訳じゃない。いい人になるのが目的ではない。自分が幸せに生きるため。それが自己中心的な幸せにならないようにするため?その視点を養うのが内観?
「内観の成果は、ひとえにあなたの熱心さにあります。内観は自己啓発であり、自己治癒。」
この言葉から、自分が7日間内観しても変わらなかったら、熱心さが不足していたと言われるんだろうな、とやさぐれていた2日目の私。
【29】人は誰かに迷惑をかけずには生きられない。それを思い返す。
【30】不幸せの証拠を集めても、幸せにはなれない。
【31】屏風のなかにいる時に限らず、両親や妹弟の存在、ご先祖様や祖父母、犬たちのイメージが私を守り、支えてくれる。
つづく