「沖縄文化論 忘れられた日本」を読みました
岡本太郎は、「日本再発見」「沖縄文化論」「神秘日本」という日本紀行3部作を発表し、「沖縄文化論」で、毎日出版文化賞を受賞している。
1960年(昭和35年)「沖縄文化論」を中央公論で連載(全6回)
1961年(昭和36年)「忘れられた日本ー沖縄文化論」として出版
1972年(昭和47年)「沖縄文化論ー忘れられた日本」と改題し再版
2022年(令和4年)「新版 沖縄文化論ー忘れられた日本」を出版
今回、私が読んだのは、新版の文庫版。
私の知る沖縄と重ねつつ、私の生まれる前の沖縄を読む。
まず、読み終えて驚いたのは、岡本太郎はパリ大学で民俗学を学んでいた事。専攻領域はオセアニア。岡本太郎の視点は、美術家としての視点だけでなく、民俗学の視点を持っているからこそ、沖縄の文化や風俗に対し、ここまで観察できたのだ。
民俗学は、民間伝承の調査を通して、主として一般庶民の生活・文化の発展の歴史を研究する学問。沖縄文化論は、いち美術家の沖縄旅行ルポではない。正真正銘の沖縄文化の記録だ。
何もないからこそ、生まれた歌と踊りと祈り。何も知らずに沖縄を楽しむ事もできる。沖縄の文化が生まれるしかなかった事実を知ると、受け取る意味は変わる。
厳しい人頭税と貧困と疫病。戦争体験と米軍統治。沖縄が経験してきた苦境は、本当にたくさんある。
この部分だけ抜粋すると、誤解を生むかもしれないけれど、私がもやもやとして表現しきれなかった核心を、直球でドスッと突かれた思いだった。
沖縄という島が持つ歴史や、土地の特徴など、さまざまな不利な条件を知れば知るほど、沖縄について、発言を躊躇う自分がいる。日本人の沖縄に対する無知への罪悪感もある。
実際、住んでみて分かった困難さがあった。そして、住むうちに感じなくなっていく事もあった。郷に入っては郷に従え。その土地に馴染むほどに、良い面と悪い面があった。慣れと麻痺は、似たようなものなのかもしれない。
人頭税を、貧困や、戦争の傷、基地負担などに置き換える事もできる。それらは、事実として沖縄の人たちを苦しめるものでもあるけれど、自力で新しいものを生み出していない言い訳となっていないか、というのが太郎さんの指摘だ。
太郎さんの指摘は、人頭税などの悲劇よりも、素晴らしい沖縄の特権を自覚せよという沖縄への愛でもある。
苦境にあっても、歌や踊りや、祈りを生み出した沖縄の人々の逞しさや生きる力。何もないところから、生み出す力。生き抜く為に、創り出す力。その生命力に魅力がある。この島の自然がもたらす生命力。そこに住む人間の生命力。
悲劇よりも、ここにしかないものを、しっかり自覚しろ。自分たちの魅力と生命力を、自覚しろ!という叱咤激励なのだ。
この指摘は、沖縄だけでなく、私自身にも置き換える事ができる。いま、私は何か新しいものを生み出そうとしているか。だからこそ、太郎さんの言葉は、私に突き刺さったのだと思う。自分の力を自覚し、逞しく生きる。
久高島で12年に1度行われるイザイホー期間中に、風葬の場である後生(グソー)へ行った事に、非難もあったらしい(後生事件)。そのおかげで令和の今、私は当時の風習を知る事ができる。でも、その好奇心は、身勝手な暴力なのかもしれない。
消えていく歌や踊りや信仰。太郎さんが1度目に訪れた米軍統治下の沖縄(1959年/昭和34年)でも、すでに失われていく文化があった。大宜見村の臼太鼓(ウスデーク)もそのひとつ。その土地で生き延びる為に生まれた文化や風習。時代の変化に伴い、必要がなくなれば、消えていく。遺らないから美しいものもある。
無知が相手を傷つける事もあるけれど、うわべだけの知識が相手を傷つける事もある。身勝手な好奇心は、そこに生きている人を見えにくくする。知識欲や好奇心は、そこに生きる人達を侮辱する事になってはいけない。相手を知る事で、尊重し合う為に、学びはある。
岡本太郎も、沖縄も、さらに好きになりました。
★臼太鼓(ウスデーク)について
★富盛のヨンシー
★久高島
★イザイホーと後生事件
★沖縄「慰霊の日」
★沖縄について
おわり